著書『日本の独立』(飛鳥新社)やブログ「植草一秀の『知られざる真実』」などで、利権複合体(既得権益勢力、米国、官僚、大資本のトライアングル)の真相・真実と、主権者たる国民がこれらの諸権力と闘う必要性を訴え続けてきた植草一秀氏。転換期を迎えた日本国家について、どのように感じているのか話を聞いた。
日本は戦後、高度経済成長のなかで世界2位の経済大国となり、奇跡の復興を遂げました。世界でも高い競争力を維持している面はたくさんありますから、非常に強い国ではあると思います。しかし、たとえば1970年代前半にオイルショックが起きて、日本の成長の条件が大きく変わり、成長率そのものも二ケタ成長から中成長あるいは低成長に変わってきました。
これは、エネルギー制約ということが表面化したものですが、そうしたなかで戦後の―ウラがある事柄ではありますが―原子力の平和利用がずっと進んできたわけです。ただ、今回の福島原発事故のようなことが発生したとき、これをどう捉えるか。一過性の問題ではなく、かなり深刻に捉え直す必要があると思います。
ところが、世のなかの流れそのものは原子力の平和利用ということをひとつの基礎にして歯車が組み立てられ、経済がまわっている側面がありますので、企業中心に現在進行形で動いていることはもう変えられないという暗黙の前提で進もうとしているように見えます。財界人あるいは自民党を中心に原子力利用という大枠は外せないという前提のうえに話を進めていますが、五木寛之さんにしても村上春樹さんにしても、経済とかけ離れた分野で活躍する文化人は、現在の体制とは関わりなく1人の市民としての立場から発言しますから、まったく異質の発言を示します。
福島原発事故はいまだに現在進行形ですが、事故の性格からすると半歩または一歩誤れば、今のレベルからかけ離れたはるかに深刻な事態が生まれたことも十分想定できます。今回レベルの事故でさえ東北地方中心に相当長期にわたって大きな影響がでるような問題になっているわけですから、この際、原子力の利用そのものをどうするかについて、国民的論議をして結論を出さなければならないと思います。
その作業が現段階では省略されている感じで、とにかくこれは現状のまま進まなければいけないとの空気が支配しているわけですが、本当にそうなのかどうかですね。一部には、単なる経済問題ではなしに日本の安全保障の問題として捉え、日本のまわりを核保有国が取り囲んでいるときに、日本が核保有国に転じることができる基礎条件は捨てるべきではないとの核武装積極論から原発推進論が提唱されるという恐ろしい現実も存在しています。
逆に、世界唯一の被爆国として核を放棄し、なおかつ核廃絶に向けての先頭に立つべきだという議論もあって、まったくこれは主義主張、信条の異なる別の見解ですが、3月11日を契機に時間をかけた議論が必要だと思います。
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<プロフィール>
植草 一秀(うえくさ かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。大蔵省財政金融研究所研究官、京都大学助教授(経済研究所)、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、大阪経済大学大学院客員教授、名古屋商科大学大学院教授を経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)代表取締役。著書は『日本の独立』(飛鳥新社)ほか多数。
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