北九州銀行の誕生の行方<11>
21世紀に入り、経済のグローバル化と金融ビッグバンの進展により、国内外において金融機関の競争が激化。ドイツ銀行の米バンカース買収や米シティコープとトラベラーズの合併など世界的な規模での金融再編が進行していく。
日本においても、バブル崩壊後の金融システムの安定と経済の活性化・国際競争力を強化するために、新しい金融形態として持ち株会社のホールディングス(HD)やフィナンシャルグループ(FG)による経営手法が取り入れられた。みずほフィナンシャルグループ(2000年9月HD設立を経て03年9月現在のFGへ)、三菱UFJフィナンシャルグループ(2001年4月設立)、りそなホールディングス(01年12月設立)、三井住友フィナンシャルグループ(02年12月設立)、などが相次いで誕生した。
01年4月に三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行による金融持ち株会社のUFJホールディングスが誕生したが、02年9月に金融担当大臣(経済財政担当大臣兼任)に竹中平蔵が就任し、同年10月には「金融再生プログラム」を発表。大手行に対して、05年3月末までに不良債権残高を半減するよう要求。これを受け、みずほフィナンシャルグループは1兆円の増資、三井住友銀行はゴールドマン・サックスに優先株を発行したうえ、わかしお銀行との逆さ合併による含み益の吐き出しなどを実施。他のメガバンクはなり振り構わない資本増強による不良債権の処理を進めた。
UFJホールディングスの中核をなす旧三和銀行は、尾上縫事件や大蔵省接待汚職事件など、金融スキャンダルを自行に有利な事後処理する対応から、金融当局から不興をかっていた。折しも03年10月に実施された金融庁特別検査では、多額の不良債権の処理不足が指摘された。その検査の過程で資料等の隠蔽・改竄が発覚するにおよんで金融庁の逆鱗に触れることになる。
「Too big to fail」と言われたUFJグループは、3年余りでその名が消えることになった。05年10月に三菱東京FGによる救済合併を受け、現三菱UFJフィナンシャルグループに取り込まれた。
UFJグループの解体を目の当たりにした金融機関は、これをきっかけとして金融当局に一切逆らうことができなくなった。
【北山 譲】
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