<ふくおかFGと山口FGの誕生(1)>
金融当局は、個々の金融機関が抱える不良債権の実態を把握するため「企業格付け制度」を導入。その基準は都銀には厳しい査定を求め一気に不良債権処理を強いるものであったために、厳しい査定基準で大幅な赤字に陥ったUFJグループは解体された。
金融当局は、大手銀行の次に手を付けたのは地銀や第二地銀、信用金庫などの地域金融機関が抱える不良債権の処理であった。しかし都銀と同じような基準で「企業格付け」を行ない、厳格な不良債権の査定を実施すると赤字に転落する金融機関が続出し、地域経済が崩壊することを恐れ、地銀→第二地銀→信用金庫と業態の体力に応じた基準を適用。ダブルスタンダード、トリプルスタンダードと言われたが、その緩やかな基準さえクリアできない地域金融機関は金融再編を迫られることになる。
公的資金の注入を受けた北洋銀行と札幌銀行は「札幌北洋HD」(2001年4月設立)、北陸銀行と北海道銀行は「ほくほくFG」(2003年9月設立)、紀陽銀行と和歌山銀行は「紀陽HD(2006年2月)設立」と相次いでの再建の手法としてHD、FGを導入し、再建の道を歩むことになった。しかし「ふくおかFG」と「山口FG」の誕生はそれとは一線を画すものであった。
<経営統合を受け入れた「ふくおかFG」誕生の経緯>
・福岡銀行は2000年4月、佃亮二氏に代わって寺本清氏が頭取に就任。翌年3月期に思い切って大幅な貸倒引当金を積み赤字決算となったが、不良債権比率を一気に3%台に引き下げ財務内容を改善。翌年の決算で業績を急回復させている。
福岡銀行の場合は、2期4年頭取から会長へのトップ交代がルーティン化されているため、佃亮二会長の後を寺本清氏が頭取に就任し、思い切って大幅な貸倒引当金を積み、赤字決算処理をしても同じ日銀出身者同士であり、二人の間に不良債権処理を巡っての軋轢(あつれき)はなかったと言える。
寺本氏は05年3月までの5年間頭取を歴任し会長へ。谷正明氏(現ふくおかFG社長兼福岡銀行頭取)が頭取に就任。
・福岡銀行に約50年ぶりに生え抜きの頭取が誕生。寺本氏を含め日銀出身者が五代続いており、日銀出身者の手から人事権を含む銀行経営全般をついに取り戻すことになった。
プロパーの谷頭取に大政奉還した寺本会長は、4月6日の頭取交代の披露パーティの日に急逝している。
・経営危機に陥った熊本ファミリー銀行、九州親和HDを救済するため「ふくおかFG」を設立し経営統合したのは、金融当局に握られていた不祥事の弱みや50年ぶりに悲願の生え抜き頭取誕生のための代償とも言われている。
・谷氏が頭取に就任して6年。長期政権を確立した今、そのままトップの座に君臨し続けるのか、それとも後継に道を譲るのか去就が注目されている。
【北山 譲】
※記事へのご意見はこちら