<宅島建設主導に>
不動産を開発し、そのまま所有するというスタイルでは、設備当初額は当初から決定しているので、賃貸収入が減少すれば資金繰りは厳しくなるいっぽうである。
このため株式会社トリアスは、新たな資金繰り策を実行することとした。
上場を目指すとぶち上げて20億円を目標に出資を受け入れることにしたのである。当時は、東証マザーズなどの新興市場が設けられ、1989年の株価バブル崩壊以来の上場ブームの時代であった。
地権者会にも増資に応じることが求められ、本藤が地権者会に説明することでいくらかの協力をした。
賛否両論あったがパチンコ店の出店も受け入れ、テナントとしての保証金とトリアスの株式を併せると3.7億円を調達した。
トリアスはこれにより拡張工事を行ない、駐車場の不足を補ったが、この拡張に関する都市計画法折衝、地権者との交渉についても本藤がお膳立てした。
久山町に対して協力金を支払うことを約束していたが、これも業績不振を理由に断った。これも本藤がなだめ役に回った。
このように、株式会社トリアスは何とか資金繰りをつなごうと必死の努力を続けていた。
ヤマックスは、厳しい経営環境が続くなか、ついにトリアスから実質的に手を引くことにした。
2003年4月をもってヤマックスの社長でもあった茂森社長が会長に退き、新たに宅島建設の社長でもある宅島氏が代表取締役社長に就任したのである。
ヤマックスは上場会社として、株式会社トリアスの業績を自社の連結財務諸表に反映させなければならなかった(持分法適用)が、これを嫌ったのであろうか。
これにより、茂森前社長はヤマックスの経営に専念することとなり、名実ともにトリアスは宅島建設の会社となった。しかしヤマックスは、なおグループで株式会社トリアスの株式の17.7%を握る大株主で、グループ会社によりトリアスの債務の連帯保証をしていたので、その後しばらくトリアスを持分法適用の関連会社として取り扱い続けた。
【石川 健一】
<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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