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「北九州銀行」の誕生で激化する金融戦争(35)~金融再編の嵐(後)
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2011年9月30日 07:00

<ふくおかFGと山口FGの誕生(2)>

頭取交代劇の舞台となった山口銀行本店 もみじ銀行との経営統合を受け入れた「山口FG」誕生の経緯
(1)田中耕三氏が相談役に退き田原鐵之助頭取が誕生。
 山口銀行は2002年6月、田中耕三氏が相談役に退き、勝原一明氏が代表取締役会長、田原鐵之助氏が代表取締役頭取に就任。その年の9月中間決算で、大幅な赤字を計上し不良債権を一気に解消。その翌年絶妙のタイミングで金融庁検査をクリアしているが、頭取交代時の不良債権処理は福銀と同じタイミングであった。

(2)山口銀行の場合、田中頭取時代の「失われた10年間」は不良債権処理に手を付けることなく、株式の売却などで利益を計上し体力を消耗していた。田原新頭取の就任直後の不良債権処理は、田中前頭取と修復できない軋轢(あつれき)を生むことになる。

(3)04年5月21日の臨時決算取締役会で頭取交代劇(クーデター)が発生。新聞や週刊誌などにも大々的に報じられた。

 山口銀行(本店・山口県下関市)が揺れている。前頭取の田原鐵之助氏(現在は顧問)が一期二年で退任し、後任に最年少取締役の福田浩一氏が抜擢されたトップ人事が、「クーデターによるもの」(関係筋)だったことがはっきりしたからだ。クーデターが勃発したのは五月二十一日の決算取締役会。任期満了に伴う新経営陣の顔触れを決めるにあたって、田原氏は自らの再任を含めた新役員のリストを提出した。ところが、役員の一人が田原氏の名前を外した対案を提出。十五人の取締役のうち八人が対案に賛成し、田原頭取が解任されたのだ。内部抗争の引き金は、生命保険会社との癒着問題。田原頭取は、同行の保険商品の紹介先が一社に偏っていることを問題視して是正を求め、一部役員と激しく対立していた。この役員が解任される前に先手を打ってクーデターを決行。頭取解任の多数派工作は四月頃から進められていたという。この背後には頭取を五期十年務め、「山銀のドン」といわれる田中耕三相談役の姿が見え隠れしている。「田原氏を頭取に指名したのは田中相談役だが、田原氏は頭取に就任早々、不良債権を一気に前倒しして処理した。不良債権の大半は田中氏が頭取時代の案件。不良債権の処理を巡って、田原頭取と田中相談役の関係がこじれた。改革を急ぐ田原氏を、相談役と守旧派が手を結んで追い落とした」(地元経済人)のが、クーデター事件の真相だという。金融当局は「頭取交代の理由が不透明」として調査に乗り出し た。頭取解任事件の余震はまだまだ続く。
(77  経済 情報カプセル 2004.8選択より抜粋)

注1:保険会社とは第一生命保険相互会社で、田中氏と親密な女性保険外務員のS女史による「不当な保険勧誘」を指す。S女史は部外者でありながら役員・行員の人事にも干渉し、行内に絶大な影響力を有していたと言われている。
 注2:守旧派とは、広田英夫専務、末廣薫常務、西原克彦常務、滝本博志常務、藤井英昭取締役、加藤敏雄取締役、福田浩一取締役、野坂文雄取締役の8人。(肩書きはいずれも当時)
 注3:取締役会議の議長である勝原会長(当時)は棄権したが守旧派。役員15名のうち8名が対案に賛成。残り7名のうち反対6名、棄権1名。取締役会議の議長は会長、会長欠席の場合は頭取が務める規定となっており、勝原会長は病気療養中にも拘わらず松葉杖を突いて議長席に着いたと言われている。もし勝原会長が欠席し、議長に田原頭取(当時)が就けば7対7の可否同数となりクーデターは失敗する。勝原会長は田原頭取との確執もあって、田中相談役の意を汲んで綿密に練られたクーデターを成功に導いた影のキーマンとも言われている。田原氏と同時に役員を退任している。
 注4: 臨時取締役会には他に常勤監査役2名出席。金子亮太郎非常勤監査役(当時、明治生命社長)は欠席したと言われている。

(つづく)

【北山 譲】


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