<今も続く発掘回収作業>
日中両国政府が中国吉林省で行なっている中国遺棄化学兵器発掘回収事業に派遣されていた陸上自衛官7人が9月28日に帰国した。同事業は平成12年(2000年)度に開始、内閣府の依頼で防衛省(当時・防衛庁)から弾薬、化学の専門家を派遣し、識別・鑑定、回収指導に当たり、今回、旧日本軍の化学砲弾とみられる59発を含む84発を発掘回収した。
内閣府は遺棄化学兵器発掘回収事業に、平成21年(2009年)からの3年間だけでも中国全土で542億円を投入しているが、発掘回収期限の来年(2012年)4月までの完了は絶望的だ。
そのため、日中両政府と化学兵器禁止機関(OPCW)が期限延長について協議中である。日本が引き続き発掘回収事業を全額負担し続ければ、1兆円から2兆円の血税が投入されると言われている。
<遺棄でなく接収>
辞書によれば、遺棄とは「すてること」「おきざりにすること」(「広辞苑」)であり、接収とは「国家などが所有物を取り上げること」(「岩波国語辞典」)となっている。つまり遺棄は自分の意思で放棄するのに対し、接収は強制力によって取り上げることを意味している。
当時、満州に駐留していた日本軍(関東軍)は、昭和20年(1945年)8月9日にいまだ有効だった日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を破って侵攻し、暴虐の限りを尽くした旧ソ連軍に降伏して武装解除されたのだから、日本軍は兵器を遺棄したのではなく、旧ソ連軍によって接収されたというのが正しい事実である。
旧ソ連国防省軍事図書出版部発行の公刊戦史「第二次世界戦争」は、対日戦果を、日本軍の死者8万3,000人、捕虜60万9,000人、捕獲兵器は、火砲1,565門、迫撃砲と擲弾筒2,139個、戦車600輌、飛行機861機、軽機関銃9,508挺、重機関銃2,480挺、自動車2,129輌、馬1万2,984頭、各種倉庫769棟などと発表した(昭和23年11月発行)。これらすべては日本軍が「遺棄」したものでなく、武装解除によって旧ソ連軍が「接収」したものである。またこのリストに含まれていないその他の武器、兵器工場、病院、研究施設、および上記倉庫に備蓄されていた莫大な食糧、被服、原料なども同じく接収されたものだ。そのなかに日本軍の毒ガスおよび毒ガス弾もあり、これも旧ソ連軍に接収され、最終的に中国人民解放軍(共産軍)に引き継がれた。
平成7年(1995年)4月に批准された化学兵器禁止条約は、「1925年以降、いずれかの国が他の国の領域内に、その国の同意を得ないで、遺棄した化学兵器を遺棄化学兵器という」(第2条6項)と定義し、これを根拠に中国東北地方の遺棄化学兵器(毒ガス弾)発掘回収事業は日本政府の義務と解されているが、以上の理由により、そもそも日本軍の遺棄兵器など中国にいっさい存在しない。
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