<小川洋福岡県知事を誕生させた張本人・松尾新吾九電会長>
「新吾ちゃん!!」と呼ぶことをお許しください、松尾会長。私が尊敬する師匠が「新吾ちゃん」と読んでいるのを何時も耳にするので馴染んでいるのです。新吾ちゃんのビジネス人生の絶頂期はついこの間でしたね。そうです!!小川洋福岡県知事を誕生させた原動力は新吾ちゃんの不屈の闘争精神力でした。この時こそが新吾ちゃんの権力絶世の期であったこととは本人には自覚がなかったことでしょう(「まだまだ続く」と思われましたか)。経済産業省の意向を踏まえたとしても頑固一徹に「小川知事誕生」に奔走した新吾ちゃんの行動力には感服します。
若干、脱線をお許しください。新吾ちゃんの素晴らしい一面を紹介する必要があります。これは余り表沙汰になっていませんが、故郷・佐世保への慕情感の強さには頭が下がります。2年前の今の時期、ハウステンボス事業の破綻が現実味を帯びているときです。新吾ちゃんは「ハウステンボスがシャットアウトになれば故郷・佐世保は経済的沈没をする」と、危機感を抱いてHISの澤田氏の登場に精魂を使い果たしました。結果的には澤田氏にコケにされましたが、「それでも故郷が元気になったから結構だ」と意に介していないでしょう。新吾ちゃんは。筆者はこういう一面を知り尽くしていますので新吾ちゃんの権力に対する執着力を目撃する度に首をひねっているのです(人間は元来、複雑ですが)。
さて、本題を進めます。平清盛ではありませんが、絶頂を極めると急な下降線を辿ります。清盛の場合、天皇に嫁いだ娘が孫を産みました。この孫が次期天皇の座を確保した矢先に奇病で逝ったことは歴史の事実です。これから平一族政権は崩壊の道を駆け下りました。新吾ちゃんと平清盛を比較すると故人が怒ります。新吾ちゃん本人も「平清盛ほど大物ではない」くらいは自覚しているとは思いますが――。新吾ちゃんが「九州の天皇の地位を就いた」と、見られた矢先の3月11日に東日本大震災が発生しました。
<強運で社長のポストを射止める>
新吾ちゃん!!貴方は本当に強運の持ち主ですね(10月28日までは)。九州電力には別に貴方でなくとも同期年齢前後には人材はきら星の如くいたことは認められるでしょう。否定されるほど傲慢にはなってはいますまい。「どうして新吾ちゃんが社長になれたのだろうか?」と、九電OBの方々にコメントを求めました。そうすると「それは渡邊社長が急逝したからですよ」と、異口同音の回答があったのです。この回答には頷かれるでしょうか?
新吾ちゃんの以前の社長をさかのぼると鎌田相談役が前の社長ですね。その前が大野さん(故人)。もうひとつ前が渡邊さんです。この方が急逝されたことで派閥の流れが激変しました。九電と直接関係のない方々は理解できないでしょう。だから九電の社長人事の決め手は能力とか過去の実績で決定されるのではないことを公表しておきます。九電は実際の民間企業ではない(国の庇護下にあるから筆者に言わせればお役所企業)ので客観的な人事の評価を下すことが不可能なのです(実力主義の抜擢が無理)。
そうなると上司の引き上げで出世が左右されます。九電OBの方々は「新吾ちゃんは渡邊派閥には所属していなかった」と、指摘していました。表現を換えれば「渡邊社長が恒例通り2期4年社長に座っていたら三代後の新吾ちゃん社長の誕生はなかった」とうことですね。たしかに、かつては九電副社長であった方に接すると「この方がどうして社長になれなかったのだろう」と、不思議に思う逸材がたくさんおられます。どうであれ新吾ちゃんは強運の持ち主として社長・会長を歴任して現在に至っているのですよね。
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