<山口銀行前身の第百十銀行の沿革(2)~国立銀行の設立>
国立銀行とは「国法によって立てられた銀行」という意味であり、民間の銀行である。銀行は金貨との交換義務を持った兌換紙幣の発行権を持っており、当初は第一から第五の4行(第三銀行は不成立)が設立された。
しかし、1876年(明治9年)から、不換紙幣の発行も認められるようになると、銀行設立が急増し153の国立銀行が開設されたが、1879年(明治12年)以降新規の銀行設立は認められなくなった。
現在、名称が残っている銀行は第四銀行(新潟県)、十六銀行(岐阜県)、十八銀行(長崎県)、七十七銀行(宮城県)、八十二銀行(長野県)、百五銀行(三重県)、百十四銀行(香川県)の地方銀行7行となっている。ただし、このなかで八十二銀行は、第八十二国立銀行(鳥取県:のちに富士銀行を経て現在のみずほコーポレート銀行へ)とは無関係であり、六十三銀行と十九銀行とが合併したことから、両行の数字の和(63+19)により、八十二銀行となったとされている。
日本で最初に設立された第一国立銀行は、三井組と小野組を中核にして設立した「三井小野組合銀行」の後身である。井上馨、渋沢栄一紙幣頭、芳川顕正紙幣権頭の尽力により2社をまとめたものであった。払込資本金244万円で設立。初代頭取には、井上馨と親しい渋沢栄一が就任した。第一銀行は日本銀行創設以前には紙幣の発券が認められており、発行する銀行券は金貨との交換を義務付けられていた。また、日本初の株式会社でもある。
戦後の1971年に日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となり、現在はみずほ銀行となっている。また第二国立銀行は、現在地銀トップの横浜銀行の前身である。
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