<山口銀行の前身、第百十銀行の沿革(5)~日本銀行西部支店の開設>
日本銀行は1893年(明治26年)4月、新政府軍と榎本武揚率いる旧幕府軍とが戦った箱館戦争の舞台であった北海道の治安と開拓のため、札幌、函館、根室に出張所を開設、同時に北海道内16カ所に派出所を開設(派出所は1906年5月までに廃止)している。
一方、同年(明治26年)10月1日、日本銀行は赤間関市西南部町52ノ1(現在の下関市)に西部(さいぶ)支店を開設し、翌2日から営業を開始している。
第百十国立銀行が赤間関区に本店を移転して13年後であった。大阪以西、とくに西南戦争による混乱が続いた九州の金融が円滑に行なわれるように、大阪に次ぐ西日本で2番目の支店として設置されたもので、初代支店長は高橋是清(後の第7代日銀総裁、第20代内閣総理大臣)で、総員14名の小世帯であった。
当初、西部支店を門司に置く計画であったが、当時の門司はまだ鉄道が開通したばかりで、市街地が形成されていなかったため、当分の間は、門司と同一経済圏を形成していた赤間関市(現下関市)で5年間営業し、その後、1,898年(明治31年)10月30日、西部支店は当初の計画に沿って、門司港に新築された店舗に移転し、門司事務所を経て、今の北九州支店へと受け継がれている。
その後、約50年間、山口県には日本銀行の支店はなかったが、1947年(昭和22年) 12月1日、山口県の金融経済の中心地である下関市にあらためて下関支店を設置している。
その後、店舗が老朽化したため、1973年(昭和48年)9月に店舗の建替えを決定。工事中の1年5カ月は観音崎町の現山口銀行別館(旧三井銀行下関支店)を仮店舗として営業を続け、1975年(昭和50年)1月に鉄筋コンクリート造りの店舗に移転。その店舗も老朽化しているため現在大掛かりなリニューアル工事を行なっている。
参考文献:「山口銀行史」ほか
なお、本稿における日本銀行下関支店に関する記述および画像は、日本銀行下関支店のホームページから、一部引用しています。
*記事へのご意見はこちら
※記事へのご意見はこちら