放射性キセノンが福島第一原発2号機で検出された直後の11月2日午前、東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は「一時的に臨界になった可能性があるが、大規模な臨界は起きていない」とコメント。また、森山善範原子力災害対策監は「自発核分裂の可能性は高いと思うが、局所的な臨界の可能性をすべて否定できているわけではない」と話した。
そもそも、今回の騒動が大きくなった要因のひとつは「臨界」という言葉そのものにある。前述の松本純一原子力・立地本部長代理は翌3日の記者会見で、当初、小規模な臨界の可能性を挙げたことについて、「『臨界』は一般の方が危険な状態と考えやすい言葉。可能性のひとつとして言及したことには反省すべき点がある」と述べた。つまり、「臨界」という言葉に対して、東電側と国民との間では理解度に溝があるようだ。では、そもそも「臨界」とはいったいどういう状態なのだろうか。
簡単に説明すれば、臨界とは、核分裂による連鎖反応の進展程度のことである。この連鎖反応を制御すれば、原子力発電に利用することができる反面、核分裂がどんどん増倍して進んでしまうと、いわゆる原子爆弾と化す。専門的な表現をすれば、未臨界(もしくは臨界未満)は中性子増倍係数kが1.0以下の状態。臨界は1.0の状態で、1.0を超えると臨界超過(いわゆる超臨界)となり、暴走による臨界事故を引き起こす可能性が出てくる。つまり、臨界は正常に運転している原子炉内でも常に起こっているにもかかわらず、一般的には超臨界による事故を連想させるため、今回のような行き違いを生んだと思われる。
しかし、福島第一原発2号機がすでに破壊されていることを考えれば、作業員は内部に立ち入ることができない。よって、もしも2号機に核爆発が迫り、本当に危険な状態だとしても、それを誰も把握していないのではないかという不安が、国民を覆っていることに変わりはない。
細野豪志原発事故担当相は今回の放射性キセノン検出を受けて、「冷温停止を年内に終了させる方針を変える必要はない」と話すと同時に、「10月にガス管理システムを導入して検出範囲が広がり、低い数値も測ることができた。そのなかでキセノンが計測され、大きなニュースとなった。突然出てきたものではなく、もともとあったということはわかってほしい」と釈明したが、年内の冷温停止が実現できるかどうか、懐疑的な見方が広がっている。
これが、今回の「2号機臨界騒動」の一連の流れだ。政府・東電側が科学的な根拠を並べているにも関わらず、世間がそれで納得しない風潮は相変わらずである。いま振り返れば、原発事故が発生した当初に溶融こそ認めたものの、メルトダウンを隠した初動の不味さがすべてだったように思う。当初から、事実を隠蔽せず国民に伝え、発表も一枚岩に統合し、原発事故担当相からのみ、科学的な分析を踏まえたうえで事実だけを述べれば、今回のような騒動にはならなかったのではないだろうか。
政府・東電による隠蔽とネットのデマ。それらによる二次災害はすでに起きている。
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