<山口銀行前身の第百十銀行の沿革(13)~鈴木商店の衰退(4)>
1923(大正12)年3月14日、持株会社制へ移行するため商号を合名会社鈴木商店から鈴木合名会社へ改め財閥本社とし、新たに株式会社鈴木商店を設立して全事業を分社化した。
同年9月1日、関東大震災が発生すると、政府は震災手形割引損失補償令を公布。これは震災前に銀行が割り引いた手形のうち決済不能になった損失を日本銀行が補填するというものであった。この制度成立には金子から政治家への働きかけがあったといわれている。
鈴木商店と臺湾銀行は、この制度を利用し損失の穴埋めを行なう。政府も黙認の態度をとっていた。1926(昭和元)年末の震災手形の合計約2億円のうち、臺湾銀行がほぼ半分を占めており、その臺湾銀行の手形のうち7割が鈴木商店のものであったと言われる。鈴木商店の震災手形の総額は現代の物価に換算すると438億円以上という巨大な金額であった。
当時の臺湾銀行は総貸出額7億円余りのうち、震災手形を含めて半分近くの3億5,000万円が
鈴木商店への貸出であった。現在の金融機関は、自己資本に対する大口融資先への貸出限度規制が設けられているが、当時はそのような規制は整備されていなかった。
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