13日に福岡市中央区行なわれた「さよなら原発!福岡1万人集会」。集まった人数は主催者発表で1万5,000人。正確な数はわからないが、相当な数の人々が集まっており、地方都市の野外で行なわれる民間主催の集会としては大規模なものであったと言える。
同集会の呼びかけ人のなかに懐かしい名前を見ることができた。熊本学園大学を昨年退職された原田正純医師だ。原田医師は鹿児島県の出身。鹿児島ラ・サール高校、熊本大学医学部を卒業後、水俣病と有機水銀中毒に関する研究に携わり、患者の立場から徹底した診断と研究を行なった。原田医師ら熊本大学医学部の研究を基礎にチッソが排出した有機水銀と水俣病との疫学的因果関係が認められたことで、患者の救済は大きく前進した。今をさかのぼること半世紀、1950年代後半の出来事だ。
しかし、チッソをはじめとした化学産業の興隆は当時の国策でもあった。水俣病訴訟にも現れているように、結果として国に弓引くこととなった原田医師は、国立大学という組織のなかで冷遇され、99年の熊本大学退官まで助教授の地位に甘んじている。
時代は移り、東日本大震災を機に表面化した原発の杜撰な管理体制。原発推進に大きな役割を果たした有名大学の高名な先生たちの言動には批判が集まっている。これを受けて日本原子力学会自身も襟を正し、9月に北九州市で行なわれたシンポジウムでは、安易な「安全神話」を創出した点についての反省が述べられたが、各地で巻き起こる放射能汚染の報道に接するにつれ「後の祭り」という感は否めない。取り扱いに細心の注意を要する原子力開発において、適切な批判を容れれば「安全神話」など生まれるはずもない。批判を許さない学会や文科省(国)の体質は、水俣病の頃から脈々と受け継がれてきたと言うべきであろうか。
来月12月17日(土)には、北九州市小倉北区の真鶴会館において、原発問題に警鐘を鳴らし続ける小出裕章・京都大学原子炉実験所助教の講演会が行われる。振り返れば2005年8月、同氏は九州電力・玄海原子力発電所の「プルサーマル計画討論会」にもパネリストとして出席し、東京大学・大橋弘忠教授との討論では一部の聴衆から冷笑をかった。しかし、6年を経た今、同氏の言葉はリアリティをもって我々に迫り、逆に「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と語った大橋教授は、論壇から姿を消した。そして、この小出助教も、その研究所が大阪府熊取町にあったことから「熊取六人衆」と評され、冷遇され続ける研究者のひとりである。
原田医師と小出助教。分野も時代も違うが、国立大学という組織のなかで冷遇された2人の姿勢には、真実の追求に政治的見解を挟まないという1点で通じるところがあるように思われる。他方で我々は、冷遇される研究者の言葉を軽んじ過ぎてはいなかっただろうか。当時、小出氏の話を歯牙にもかけなかった人間のひとりとして自省を込めて、あらためて同氏の言葉に耳を傾ける必要性を感じずにはいられない。
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