<片務性が続く日米安保>
今年の9月で、日米間でサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が調印されて60年が経った。世界史上、二国間同盟が還暦を迎えるまで続いたケースはほとんどない。ちなみに日英同盟は21年続いた。
日米安全保障条約の特徴は、第5条で米国は日本の防衛義務を負うが、日本は米国の防衛義務はない。第6条で日本は日本の安全と極東の平和と安全の維持のため、米軍に基地提供の義務を負うと明記されていることだ。
本来、同盟とは二国間に軍事力の格差はあっても、お互いを守るためのものである。日米安全保障条約の片務性については、しばしば外交・安全保障に詳しい専門家の間では問題視されてきた。一方、自国の防衛という「自由」の最も基本的なレベルでの米国への全面依存(片務性)こそが、戦後日本の防衛意識を麻痺させてきたのである。
<官僚が支配する日本政府の自衛権解釈>
日本政府(内閣法制局)の憲法解釈では、「個別的自衛権については自衛隊の武力行使を認めているが、集団的自衛権については保有するが行使できない」としている。この解釈を受けて昭和56(1981)年5月29日、社会党の稲葉誠一氏の質問趣意書に対し、日本政府は次のような答弁書を決定した。
「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容される自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどめるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」
以後、この短い答弁書が日本政府の見解となり、歴代政権は国会で集団的自衛権の質問が出るたびに、同じ答弁を繰り返してきた。本来、内閣法制局は官僚である。官僚が国家の基本問題に有権解釈を下し、それが日本政府の統一見解として、ことあるごとに持ち出されること自体がおかしいことだ。
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