<政治家としての矜持>
「どっちが勝っても大阪は変わらんよ」。
11月26日夜、寒空の下、大阪市長候補・平松邦夫氏の最後となる街頭演説を聞いていた男性の言葉である。60歳代のその男性は、徳島で生まれ育ち、中学卒業後から大阪に移り住み50年近くになるという。半世紀を大阪市民として生きてきたその男性は「政治家が変わろうとも大阪は何も変わっていない」と、感じているらしい。
今回の大阪市長選挙の結果をみると、橋下氏75万813票、平松氏52万2,641票であり、橋下氏の「今のままではだめだ。変わるか変わらないか」といった訴えに対して「変わらなくてもいい」と判断した有権者が52万2,641人、投票者の約41%いた。つまり、今回投票した大阪市民のうち約41%は変革を望んでいないと考えられるのだ。この約41%も民意であり、なかには「反橋下」と言われた既得権益をもち、権益構造を変えてほしくない人もいる。既成政党を応援する人もいる。ただ現状維持を望む人もいる。変革には少なからず痛みをともなう。また、変革がすべての解決策になるとも考えられない。変革を望まない声があるのも当然だ。
政治家は時間軸、つまりは中長期的な視点で物事を考え、その未来のために必要であれば変革を行なわなければいけない。今を生きる人の生活を守ることはもちろんのこと、50年後、100年後、この国に生きる多くの人が幸せになれることを考えることも政治家の役割である。極端に言えば、今を生きる人の生活を守るのは、行政機関があれば実現できる。
しかし、未来を見据え、今を生きる人たちに大いなる未来を語るのは政治家にしかできないのだ。自身の目で見て、考え、描いた未来を実現するためには、どんな困難が立ちはだかろうとも実現する。50年後、100年後のこの国のために。それこそが、「政治家としての矜持」なのではないだろうか。そのためには、強い覚悟が必要だ。橋下氏も府知事時代に子どもの殺人予告があったとさえいわれているが、そのような圧力にも屈しない強い覚悟をもっていた。
橋下氏は、大阪都構想という行政の仕組みを変えようとしている。これは、大阪を変えることで、日本全体の行政の仕組みを変えていこうと考えたものだ。元経済企画庁長官・堺屋太一氏と橋下氏との著書『体制維新―大阪都』(文春新書)で詳しくそのことが書いてある。「国の仕組みを地方から変えていく」ということはおよそ明治維新以後の日本になかったことだ。国の下に広域行政を担う各都道府県、その下に各基礎自治体、という体制が続く日本では起こりえないことかもしれない。
大阪の民意を得た松井一郎府知事、橋下徹市長、そして大阪維新の会。この一人ひとりの「政治家としての矜持」が合わさったからこそ、圧勝劇と言える選挙結果へとつながったと考えられる。政治は一人ではできない。議会制民主主義の日本で、独裁で物事を進めることができるとは考えられない。だからこそ、政治家一人ひとりの矜持がこの国をあるべき姿に向け、進めてくれるものになるのではないだろうか。
「非暴力、不服従」を掲げ、インドの独立を実現したマハトマ・ガンディーの言葉にこのような言葉がある。
「You should be the change you wish to see in the world.」
(あなた自身が、この世で見たいと思う変化にならなければならない。)
自身が変化する覚悟がなければ、「政治家としての矜持」は持ちえないのかもしれない。
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