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「北九州銀行」を誕生させた山口FGの歴史(31)
発信!北九州
2011年12月 9日 07:00

<山口銀行前身、第百十銀行の沿革(31)~銀行法の制定と県内銀行の合併(5)>

 種々協議が重ねられたがその営業地域に独自の地盤を有する大島銀行と宇部銀行の2行はともにその特殊性を主張し譲らず、他の3行もまた各行の独自性を主張したが、合議の結果、長周銀行と華浦銀行がまず最初に合併し、その後船城銀行と大島銀行の両行がこれに参画するということで一応の話合いがついた。そこで長周銀行と華浦銀行の両行間で、同月31日付をもって次の覚書を作成し、その写しを大蔵省に送ることとなった。
覺書
 下名等銀行ハ金融界ノ狀勢ニ鑑ミ且大藏省多年合同勧奨ノ方針ニ基キ左記事項ニ依リ合同實現ヲ期スヘシ  一、合同ハ新立合併ノ方法ニ依ルコト  ニ、合同ハ今後壱ケ年以内ニ可成速ニ實現ヲ為スコト  三、株式会社船城銀行ハ本合併ニ参加セシメ尚ホ株式会社大島銀行カ参加ヲ希望スルトキハ之ヲ歓迎スルコト  四、本書貮通ヲ作成シ各壱通ヲ所持シ其の寫シヲ大藏省ニ提出スルコト昭和二年十月三十一日

                 株式会社  長周銀行
                  取締役頭取    井上隆一   印
                 株式会社  華浦銀行
                  常務取締役    田中幸治   印

 これと同時に船城銀行もまた次のような同趣旨の答申書を大蔵省検査官に提出した。~以下省略~
 しかし、この銀行合同案は、この申合せが成立した直後に、華浦銀行取締役会がその覚書を次のように否決したため、合同は実現を見ずに終わってしまった。
 ~以下省略~


(出典:山口銀行史)

 銀行法が公布された昭和2年(1927)当時、山口県下にはまだ普通銀行12行が存立していたが、銀行法の施行を契機に、その内4行が合併や廃業などにより消滅。翌年の11月に藤田銀行系列の萩銀行と防長銀行が百十銀行と合併し残り6行と半減。

三田尻.jpg 大蔵省はさらに合併を推進するため、まず長周銀行と華浦銀行の合併交渉を優先させ、それに船城銀行と大島銀行が加わることで合意の覚書を作成。4行を合併させた後に、百十銀行と合併させる大蔵省の一県一行主義の構想は成功するかに見えたが、華浦銀行の取締役会がその覚書を否決したため、頓挫することになる。
 補足すると華浦(かほ)銀行は1891年(明治24年)4月設立。現在の防府市三田尻に本店があり、初代頭取は貞永正甫氏。家は代々塩問屋を営み、正甫の父は数多くの塩田や千石船を持つ有力な商人。正甫自身も幕末には貞永家の資金を毛利藩や志士たちに提供。この貞永家のばく大な財産を背景に山口県最初の私立銀行として華浦銀行は設立された。大正時代になると宮市銀行、弥栄銀行を吸収合併。1928年(昭和3年)5月に周東産業銀行を吸収合併。昭和初期には本店の他に15支店と17の出張所があった。

(つづく)

【北山 譲】

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