そういう意味で震災という大きな「敗戦」にもにた状況のなかで、日本の政治家に求められるのは、「自立した個人であること」「官僚に主導権を握らせず、官僚と議論ができること」であり、そのためには「その政治家なりの国民の生活=国益を持っていることが必要」という当たり前の前提を共有することである。複雑化する政治、政策課題のなかで、政治家の役割は問題の現象ではなく本質を見ぬいて、それを一般化し、政策綱領、国家戦略構想にまとめ上げることである。
その上でさらにビジョンの違いを議論するのである。国民は馬鹿ではない。ちゃんとした政治家が出てくればその政治家の話を聞く。だから、付け加えれば政治家には「演説で人を引きつける力」が必要だ。その意味でも個人的には代表選での演説を思い起こすにつけ、馬淵澄夫議員には期待している。(馬淵は著書も準備していると聞いたがこれにも注目している)
ところが、今はそのような当たり前の前提を頭に入れて政治家が仕事をしていない。官僚の側から出される「お仕事」を消化しているに過ぎないのだ。消費税にしても復興増税にしても、官僚が描いた筋書きを、インテリ気取りの松下政経塾出身の「インテリ馬鹿」の政治家が「ドヤ顔」で推し進めている風にしか見えない。官僚がベッタリと政治家の後ろに張り付いて腹話術の人形を動かしている。
周りにろくな政治家がいないで今は国民も黙っているが、じきに「アラブの春」のような形で怒りが時に暴力的に爆発することもあるかもしれない。
そのような事態になってしまえば、それこそギリシャや中東の群衆のようにカオスとなった国民を「鎮圧・管理」する役目を担った官僚機構の思いのままだ。そうならないようにする必要がある。衆議院議員、参議院議員の皆さんは2012年がその流れを変えるラストチャンスだと肝に銘じて正月休みを過ごしていただきたい。
小沢一郎の秘書だった石川知裕衆議院議員は自著『悪党』(朝日新聞出版)のなかで、「田中角栄、小沢一郎の後継者となるのは『日本列島改造論』や『日本改造計画』を超えるビジョンを出した政治家だ」と断言していた。外交安保だけに特化した「たこつぼ型」ではなく、そろそろ、そういう総合的な視野を持つ真の意味での政策通の「国民政治家」(ポピュリスト)が出てきて欲しいものだ。それまでは政策・政治哲学論争は依然として「小沢一郎」を軸に展開されていくのだろう。
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