<見苦しい終末>
かつて民主党福岡県連幹事長の大役についていた助信良平県会議員が、借金地獄に直面していることが報じられている。歳費差し押さえの訴訟の発端が中洲の飲食代であるから、お粗末極まりない。加えること、新たな借入返済訴訟が始まるらしい。
さすがにそこまで信用失墜問題が広がってしまえば、重い腰の民主党県連も動き始めた。14日の県連常任幹事会で「党の除名処分」も検討しているそうな(党の倫理委員会に処分議題をかけて具体的に決定する)。それよりも、『県会議員に辞職勧告』されることをお勧めする。友人として「助信さんよ!!民間人になりなさい」と忠告する。
自慢するわけではないが、筆者はこのような金銭面での泥塗れになることは2009年11月にはわかっていた。【過去記事(前) (後)】を参照されたし。09年11月7日に「民主党県連幹事長を辞める」ことを勧告した。表現は柔らかくしたが、「もう議員は辞めなさい」という通告をしたつもりでいた。当時から借金トラブルがあまりにも多すぎた。「いずれ第三者破産をかけられるのではないか」と危惧もした。
現在、表沙汰になっているのは、氷山の一角である。まだまだ本命になるものは水面下に眠っている。いずれ活火山になるだろう。
<幕末の国士気取りが命取り>
助信県議の政治家としての絶頂期は、07年11月の福岡市長選挙から09年の衆議院総選挙までである。同氏の辣腕ぶりが如何なく発揮された時だ。福岡市民にとっては不幸であった吉田市政の誕生は、助信県議の功労である(同氏の豪腕で吉田氏に対して民主党支援をとりつけた)。吉田市政の4年間は福岡市組織を沈澱化させた。福岡市民は、同氏にクレームをつける権利を有している。
2年後の衆議院選挙において助信県議は、幹事長として民主党公認権を悪用した。新人の立候補者たちは「幹事長!!よろしくお願いします」と土下座してまで頼み込んだりもした。選挙区においては、労働組合が支援をサボタージュされた民主党公認候補者もいた。彼らは「幹事長!!組合の支援根回しを頼みます」と必死に懇願した。「よっしゃー、任しておけ!!」と胸を叩き助信幹事長は組合幹部達に説得に行く。彼らとは呑み友達だから(国家改革の同志ではない。ここは間違いのないように)スムーズに了解できた。
そうなると「トラブル解決の神様」という神話が独り歩きする。表面では【我が世の春】を謳歌している感じであったが、助信さんの懐具合は火の車であった。国士として本人は立ち振る舞ったわけではない。「トラブル頼まれは銭になる」という嗅覚は卓越していた。だから、躍起になって頼まれごとを引き受けてきたのである。
何故、金銭面で窮していたのか? 飲食代、いや酒代に金がかかったのである。遠賀郡の自宅にはたまにしか帰らずに豪遊していれば金欠にはなる。『わかっているけど止められない』。豪放磊落に見せるところが、助信さんを大物に見せる手段だったから止められなかったのか。どうでもよい!!民間人として、事業家に転身しなさい。
▼関連リンク
・飲食代も踏み倒し? 不良債務者県議の「政治とカネ」
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