福島で被災後、福岡に移住し「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団に参加している弁護士がいる。北九州の清和法律事務所に籍を置く斎藤利幸弁護士がその人だ。最悪の原発事故により愛する故郷を追われ、新天地にやってきた同氏。3.11からこれまで、そして今後について話を聞いた。
――東日本大震災が発生した瞬間はどうされていましたか。
斎藤利幸弁護士(以下、斎藤) 私は出身が福島県郡山市で、弁護士事務所も同じく郡山にあったのですが、地震の瞬間は福島市から郡山に車で移動中でした。大変強い揺れを感じ、その瞬間頭をよぎったのは原発のことでした。「こんな大きな地震がきてしまって大丈夫かな」、そう思いました。しかし、発生直後は通信なども遮断され混乱していたので、郡山の状況がよく掴めず、とにかく事務所に急ぎました。現場に着いてみると、無残な姿になっていて、頭が真っ白になってしまいました。
――その後、福島第一原発で水素爆発が発生しました。
斎藤 大変なことになったと思いました。枝野幸男官房長官(当時)は、原発の釜(燃料容器)は大丈夫だろう、というような発言をしていて、一度は信用しました。しかし、原発が爆発した以上は、いずれは避難することになると考え、家族には準備するように伝えました。そして、15日の朝になって、インターネットに接続できたので、メルトダウンの可能性があることを知りました。私は最悪のケースを想定し、この日、22歳の長男と高校生の娘、それから妻と一緒に福島を出ました。国内でできるだけ安全な場所ということで、九州を選びました。知り合いの弁護士がいるというのも大きかったです。
――震災発生から避難までの期間が短かったのでご苦労されたでしょう。
斎藤 避難するときに愛犬も一緒だったのですが、ペット同伴で宿泊させてくれるホテルがなくて本当に困りました。初日は10件以上問い合わせてもダメで、最終的には犬を飼っている支配人さんがいるホテルに泊めてもらうことができました。もし、そのときいきなり福岡の都市部に行っていたら、宿泊先が見つからなくて諦めて福島に戻っていたかもしれません。その後は、遠賀郡在住の知り合いの自宅にお世話になりました。結局3月から8月くらいまでの5カ月間住まわせてもらったのですが、大変感謝しています。ただ、娘に関しては高校に入学するタイミングだったこともあって、福島に妻と帰ってしまいました。線量も高いですし、女の子ですからいちばん避難させたかったのですが、大変心配しています。
――福岡に来られて、お仕事の方は順調でしょうか。
斎藤 いえ、正直に申し上げて厳しい状況です。現在でも郡山の案件の方が比率的には大きく、月に2、3回は福島に帰って仕事をしています。4月からは遠賀郡で個人事務所を開こうと考えていますが、運営に関する不安はあります。
――「原発なくそう!九州玄海訴訟」の弁護団に参加されていますが、その経緯を教えてください。
斎藤 私は3.11以前から福島で脱原発に関する活動をして参りました。だからこそ、メルトダウンの危険性を察知して3月15日という早いタイミングで避難に踏み切ることができました。実際に福島原発で事故が起こってしまったいま、やはり原発は絶対に止めなければならないと強く思いましたし、そういうなかで「原発なくそう!九州玄海訴訟」を知り、参加することに決めました。
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■清和法律事務所 斎藤利幸弁護士
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