"原発のメディア報道"について、辛口評論家・佐高信氏にインタビュー。昨年(2011年)6月に出版された佐高氏の著書「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社)は、今でも増刷に増刷を重ねている。
――「原発文化人50人斬り」は、大変に評判ですが、先生がこの本を通じて訴えたかったところからお話頂けますか。
佐高信氏(以下、佐高) まず何よりも、「原発反対」ということが、まったくといっていいほどメディアに登場していなかったことが背景にあります。世論がメディアを通じて、国と電力会社に買い占められていたのです。私は、メディアは本来、少数派や批判派の意見を代弁すべきものであると考えています。ところが、広告料という名のもとで、新聞社、テレビ、地方紙まで完全に買い占められてしまった現実があります。その結果、電力会社が「安全です」というと、その拡声器になって、検証なく、オウム返しに「安全です」という状況が続いてきていたのです。
その点から、今度の原発事故というのは何よりもメディアの敗北の結果と言えます。メディアがメディアでなかった「原発報道」ということを自覚しなければ立ち直れません。その気づきを与えることができればと思っています。
私がメディアのなかで仕事をしてきて、常に感じているのは、細川内閣成立、小泉内閣成立の時しかり、日本のメディアは多数になびく、多数にこびる傾向が強いということです。多数の代弁者となって、少数派や批判派の意見は聞かないということを肌身にしみて感じてきました。
たとえば、9割が小泉内閣支持という場合、批判するとマスコミに干される。今で言えば大阪の橋下市長がそれにあたります。橋下氏は大阪市長選で、圧倒的勝利ではなかった。しかし、メディアが、少数派の意見を封じ込めて、多数派の拡声器、増幅器となり、批判を許さなくなっています。私は、毎回繰り返されるこの現象に対して、とても苦々しく思ってきていたのです。
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