<中国の批判は筋違い>
石原慎太郎東京都知事は4月17日、米国・ワシントンで講演し、日本固有の領土である尖閣諸島(沖縄県石垣市)の一部を都が買い取る意向を表明した。すでに島を所有する埼玉県在住の男性の同意を得ており、今年中の取得を目指すとしている。
石原知事が買い取りの検討しているのは、尖閣諸島で最大の魚釣島、そして北小島、南小島の3島だ(最終的には男性の親族が所有する久場島の取得も目指す)。
尖閣諸島は5つの無人島からなっている。大正島は国有地で、それ以外の4島は民有地だが、安定的な維持・管理を図るため、日本政府が借り上げている。
石原知事の発言を受けて、中国政府は「不法で無効だ」などと猛反発している。そもそも尖閣諸島は日本の領土であり、日本国内でだれが所有しようが、中国政府にはまったく関係ない話である。中国政府の姿勢は内政干渉に等しい行為だ。
<いつから中国は、尖閣諸島の領有権を主張し始めたのか>
昭和43年(1968)9月、日本、台湾(中華民国)、韓国の海洋専門家が中心となり国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の協力を得て、東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を行なった結果、東シナ海の大陸棚に、石油資源が埋蔵されていることが正式に確認された。
当時、中国(中華人民共和国)は国際連合に加盟しておらず、文化大革命の影響で国内が混乱していたため、共同調査に加わる余裕すらなかった。
この共同調査が契機となって、台湾が71年4月に、共同調査に参加しなかった中国までもが同年12月に、相次いで尖閣諸島の領有権を主張し始める。
尖閣諸島の領有権問題は、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されていることが確認されたことによって急に注目を集めた問題である。
明・清代の文献のなかにも中国の領土であったという記録を見出すことはできない。戦前・戦後を通じて中国も台湾も尖閣諸島が日本領土であることに異議を唱えたことは一度もなかった。
<尖閣諸島を日本領土と認識していた中国と台湾>
中国政府が尖閣諸島を日本固有の領土であると公式に認めていたことを裏付けるものとして、58年に北京の地図出版社が発行した「世界地図集」がある。そのなかに掲載されている日本図の尖閣諸島には「尖閣群島」という日本の島嶼(とうしょ)名が使用されている。
その後、中国が領有権を主張し始めたのと期を同じくして、「尖閣諸島は『日本領土』」との表示があった中国で発行されていた地図や教科書のほとんどが回収されるなど、それまでの認識を故意に隠蔽している。
53年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」資料欄では、「尖閣諸島は沖縄の一部」との記述がある。中国政府が尖閣諸島を日本領土と認めていたことを示す決定的な証拠と言えるだろう。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。 公式HPはコチラ。
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