<常務になった>
2008年3月、DKホールディングスの取締役総務部長だった私は、黒田社長に呼ばれ、社長室に出向いた。
「石川君、4月から常務を頼む。総務部長には、今の田辺課長を部長に昇格させるから。水元さん(常務・経営企画担当)には、60歳になるので退いてもらうし、建築部長の中井取締役も常務に昇格させる。そういうことで至急新しい組織・人事をまとめてほしい」
「はい、わかりました」
黒田社長は、それまでに自分は会長に就任し、東京支社長であった岩倉専務に社長職を譲ることもすでに決めていた。今は、まだファンドによる不動産投資が活発なので、状況がいいうちに社長を後継者に譲り、自分は代表権のある会長として後任の指導にあたる、と。
常務への昇格をいわれ、感慨深かったことは認めなければならない。
02年に大手スーパーを辞めて、社長室長としてDKホールディングスに入った。その当初の年収はたしか550万円くらいだったと思う。その後、社長室長のポストが課長級から部長級に格上げされ、次いで05年に取締役社長室長に任ぜられ、1,000万円近い年収をいただくようになった。そして07年には、総務部および経理部担当の取締役ということになった。それからわずか1年で常務取締役とは。
これまで社長室長として事業計画や進捗管理、それにIR(投資家向け広報)を担当しながら会計や財務について側面的に勉強してきた。
昨年に総務担当の取締役となってからも、会社としての経理の課題、つまり減損会計適用問題の対策や内部統制の導入などにも先頭に立って取り組んできた。また、会社の屋台骨を揺るがしかねないサブリースの問題についてプロジェクトで取り組み、100名以上のオーナー様と、新サブリース契約を締結することにも成功していた。
そういえば、DKホールディングスが非上場の時代にビルを売るためのやむを得ずサブリース契約を公正証書で締結し、それを合意解除しようとしたら、相手先が差押をかけてきたという事件があった。あのときは主要取引銀行への報告や、その後の裁判の対応で神経をすり減らしたものだ。
このように総務部長としての1年は慌ただしく過ぎ、私自身の昇格昇進のことなど考える余裕はなかったので、新年度より常務、との内示は、不意を打たれた感じだった。もちろん、成果を認めていただいた、という喜びは感じた。が、一方で、これから厳しいぞ、という気持ちもいよいよ強くした。
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<プロフィール>
石川 健一 (いしかわ けんいち)
東京出身、1967年生まれ。有名私大経済学卒。大卒後、大手スーパーに入社し、福岡の関連法人にてレジャー関連企業の立ち上げに携わる。その後、上場不動産会社に転職し、経営企画室長から管理担当常務まで務めるがリーマンショックの余波を受け民事再生に直面。倒産処理を終えた今は、前オーナー経営者が新たに設立した不動産会社で再チャレンジに取り組みつつ、原稿執筆活動を行なう。職業上の得意分野は経営計画、組織マネジメント、広報・IR、事業立ち上げ。執筆面での関心分野は、企業再生、組織マネジメント、流通・サービス業、航空・鉄道、近代戦史。
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