2011年3月11日、東日本を襲った大地震は、日本人の原発に対する思いまで変えてしまった。これまで「原発は安全だ」と言われ続けてきて、原発に対して盲目的な信用を置いてきた一般市民の多くが、それは間違いだったことに気づいたはずだ。原発とどう向き合っていけばいいのか。九州大学副学長で福島原発事故の政府事故調査委員会のメンバーである吉岡斉氏に、原発に対する考え方とこれからの方向性を聞いた。
<数千万人の難民世界恐慌の可能性まで>
――私たちのような一般市民は、「安全だ」という一方の話しか知りえませんでした。そして、大先生や大企業の方がおっしゃるのならそうだろうと思っていましたから、問題意識すら持つことができなかったと思います。チェルノブイリを見て衝撃は受けましたが、「日本は違うから安全だ」と言われたら、そうなのだと思ってしまいます。それが、3月11日で目が覚めたような気がしました。
吉岡 次々に爆発をしていく姿は、私の想像を超えました。私はその危険の大きさを、3月15日あたりになってようやく気づきました。「ひょっとすると、これは東日本一帯が高濃度汚染地域になって、日本から何千万人の難民が出て、首都圏の経済機能、政治機能が壊滅して日本発の世界大恐慌が起こってしまうのではないか」――と。もしここまで発展したら、ギリシアの比ではありません。GDPが50倍くらいありますから。これが怖かったですね。吉田昌郎所長も、まさに同じことを考えていたようでした。
――世界恐慌まで考えていらっしゃったのですか。
吉岡 その可能性もありました。1基でも爆発したら、放射能でほかの5つの原発にも人が近寄れなくなります。すると、残りの原子炉とプールは手がつけられない状態になってしまい、延々と放射能が出っ放しになってしまう可能性を考えました。炉外に出てくる放射能の量は、チェルノブイリの数倍になり得ました。何とかチェルノブイリの3分の1程度に収まったようですが、そこまでの危機が現実のものになりかけていたのです。そのことに吉田所長たち現場の方々は気づいていたようでした。全員撤退という話も、まさにその考えのもとでなされたものです。私は3月10日までは、それだけの危機を目の当たりにすることになるとは思っていませんでした。
――日本で起こる事故は、せいぜい小規模のものに留まるだろうと考えていらっしゃったのですか。
吉岡 小規模といっても、スリーマイル島の事故(国際評価尺度でレベル5の事故。炉心の半分がメルトダウン。圧力容器は間一髪、破壊されずに済んだ)くらいまでは発生する可能性があると思っていました。
――敷地外には漏れない程度、ということですね。
吉岡 スリーマイルでも、揮発性の高い希ガスは漏れました。ヨウ素も相当漏れましたが、その程度で収まりました。日本の原発の事故では、セシウムはともかく、ストロンチウム、ましてやプルトニウムなんかはほとんど漏れないと思っていました。福島の事故は、私にとっても予想以上であったということです。1号機が爆発した後、次々と爆発が続きましたが、あれは壮絶な光景でした。
<プロフィール>
吉岡 斉(よしおか・ひとし)
1953年富山市に生まれる。東京大学理学部卒業。現在、九州大学にて教鞭を振るいつつ「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)のメンバーとして活躍。近著「新版 原子力の社会史 その日本的展開」(朝日新聞出版)など。趣味は登山。
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