2011年3月11日、東日本を襲った大地震は、日本人の原発に対する思いまで変えてしまった。これまで「原発は安全だ」と言われ続けてきて、原発に対して盲目的な信用を置いてきた一般市民の多くが、それは間違いだったことに気づいたはずだ。原発とどう向き合っていけばいいのか。九州大学副学長で福島原発事故の政府事故調査委員会のメンバーである吉岡斉氏に、原発に対する考え方とこれからの方向性を聞いた。
<想定の甘いマニュアル>
――想像は超えたにしても、可能性の話としては、この事故も仮定されていて当然と思います。そういうシビアアクシデントに対するシミュレーションもされていたはずですし、マニュアルもあったと思います。それが、なぜ機能しなかったのでしょうか。
吉岡 なかったからです。したがって、事故は起こるべくして起きたと言えます。たしかに、全電源喪失の際の対処マニュアルはあります。私たち事故調が原発に入ったときに、見る機会を得ました。すごいマニュアルでしたよ。具体的には、"何もしない"というマニュアルなのです。
――何もしないマニュアルというのが、よくわかりません。
吉岡 原発でも全交流電源喪失は仮定しています。それは、外部電源が全部切れて、ディーゼル発電機も切れた状態を指します。「それでも直流電源は生きているはずだ」というマニュアルなのです。直流電源というのは、バッテリーです。1号機では、それが8時間使えるという設計をしているのです。2、3号機ではもう少し長い時間持つとされていました。その間、当直は何をするかというと、「分担された計器の数値を読み上げることに徹せよ」とされています。何分かごとに「異常だ」とか「異常なし」と上司に伝えるのです。それを副当直長がオウム返しに言って、それを当直長が中央制御室から本部に連絡するというものでした。これをひたすら10時間重ねているうちに、「復旧するだろう」というシナリオなのです。1時間で復旧する想定の機器が多くて、最悪でも10時間で全部復旧するだろうと予測していたのですね。でも現実には、電源が治る見込みが全然立たず、どんどんおかしなことになっていってしまいました。そして、ついに1号機が爆発してしまい、手に負えなくなりました。そういうマニュアルだったのです。
――正直に申しあげまして、非常に驚きました。多重防護の考え方などを声高に言ってきた電力会社が、そこまでしか考えていなかったのですね。驚きとともに、呆れてしまいます。
<プロフィール>
吉岡 斉(よしおか・ひとし)
1953年富山市に生まれる。東京大学理学部卒業。現在、九州大学にて教鞭を振るいつつ「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)のメンバーとして活躍。近著「新版 原子力の社会史 その日本的展開」(朝日新聞出版)など。趣味は登山。
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