<国家アルコール計画>
1975年、ブラジル政府は、「国家アルコール計画」を立ち上げることになる。
このときのブラジル政府に、40年後が見えていたかどうかは分からないが、逆境に陥った時に苦心して考え出した計画が、ブラジルをクリーンエネルギー先進国へと導くことになる。サトウキビを発酵させ、そこからアルコールを作る技術は、サトウキビの世界的な生産国であるブラジルが長年、培ってきた技術だった。高橋ウィルソン補佐官は「国家アルコール計画の本質は何かというと、単に、昔からあった技術を蘇らせただけなんです」と、にこやかに言う。とはいえ、古くからあった技術を活用し、未来まで生きる革新的な知恵へと発展させた。ブラジル的「温故知新」の精神だと言えるのではないだろうか。
<石油会社の猛反対に>
国家アルコール計画が立ち上がって40年。長年を費やして、バイオエタノール先進国にのしあがっていくまでには、苦労も多かった。
まず、計画が立ち上がった当初、ブラジルの代表的な石油会社であるペトロブラス社の大反対を受けることになる。商売道具の石油がバイオエタノール燃料に替わることで利権を奪われると危惧してのことだ。仮に、このころのブラジル政府が、現在の日本のような弱腰のリーダーシップであったならば、国家アルコール計画は軌道に乗る前につぶされたのではないだろうか。
<強いリーダーシップを発揮>
「なぜ、強いリーダーシップを発揮できたかと言うと、ペトロブラス社が国営企業だったから。政府が『やるしかない!』と決めたことには、ペトロブラス社も従うしかなかった」と高橋ウィルソン補佐官。しぶしぶながら、ペトロブラス社は、バイオエタノール燃料の導入を受け入れる。しかし、最初は大反対したバイオエタノールの導入だったが、いざ着手してみたら、この分野にもビジネスチャンスは転がっていた。ペトロブラス社は、バイオエタノールの供給インフラの整備に投資し、アルコール製造工場や供給するスタンド、パイプラインなどにも出資し、利益を出せるようになった。
自分たちの利益を取る場所は、"石油のみ"だと決め、反対派に立っていたペトロブラス社は、その利益を得る本領を"エネルギー"にまで広げ、いつしかバイオエタノール推進派になった。柔軟性を持っていた。
高橋ウィルソン補佐官は「ペトロブラス社は、考えを変えました。自分たちは、石油会社ではなく、エネルギーの会社だと。国内でエタノールを売り、ガソリンは、海外にも買いたい国はたくさんあるので海外にも売って利益を出した」と説明する。
政府は、多額の補助金を出し、フレックス車を製造するメーカー、サトウキビの生産農家などの協力のもとに、国家アルコール計画を軌道に乗せた。順調に進むかに見えたが、変動する原油価格、砂糖価格に悩まされることになる。
※記事へのご意見はこちら