当の井上氏は、社長室に巨大なガンダムの模型を飾り、SFやアニメ、マンガが大好きな「オタク」である。ジャズやロックのLPのコレクターでもあり、仕事を早々に切り上げ、南青山のブルーノートに姿を出すこともしばしばあった。役員報酬は1億円を超え、ストック・オプションによって資産を形成した彼は、高額ワインの収集にも熱を上げた。
この井上氏とともに、ソフトバンク財務部次長からヤフー取締役に転じた野村証券出身の梶川朗氏(53)、創業翌年に入社した喜多埜裕明取締役(49)の、古参幹部3人によるトロイカ体制の経営が長らく続いた。
ヤフーを辞めた元幹部社員はこの3人を評して、「やっていることはノーリスク・ハイリターンです。米国ヤフーが米国で行なったサービスを日本に移植することだけで、あえて冒険して新規事業を立ち上げようとしない。自分たちで新しいビジネスを立ち上げようという気概がないのです」と、不満をぶちまける。
ヤフーから人材が流出していっているのに、親会社のソフトバンクの孫氏はまったく気がつかない。そこで、ヤフーの中堅・若手が大挙して孫氏に窮状を打ち明ける"内部告発"におよんだのだった。
2010年9月から始まったソフトバンクの次世代幹部養成講座「ソフトバンクアカデミア」には、ソフトバンクグループ各社から選抜された次世代のリーダーたちが集まり、孫氏の面前でプレゼンテーションをする。その席でヤフーから選抜された面々が意を決して語ったのは、ヤフー井上体制の惨状だった。新規事業には消極的で、次から次へとライバルに先行されていく――。
「孫さんは、そうとうびっくりされていたようです。なかなかヤフーからのプレゼンがなく、何度も何度も先延ばしされて、いったいどういうことなのかと思いましたが、井上さんたちが孫さんへの前でプレゼンされるのを恐れて妨害していたのかもしれませんね」。孫氏の側近はそう言う。
驚くべき内情にすっかり青くなった孫氏は、"泣いて馬謖(ばしょく)を切る"決断をする。それが、創業以来初めてのヤフーの社長交代、宮坂体制への移行だった。井上氏とともに梶川、喜多埜両氏も退任し、経営体制は完全に刷新される。
事情を知るソフトバンクグループ社員は言う。
「明らかになったのは、孫さんがいかにグループ内の事情に疎いかということです。ヤフーからの人材流出が始まったのは2005年頃からで、どんどん可能性を求めて楽天やライブドアに転じていました。しかし、孫さんはボーダフォン買収や光の道構想、さらには自然エネルギーといった大きなプロジェクトにのめりこみがちで、足元がすっかりおろそかになっているのです」。
切られた井上氏だが、彼は"股肱の臣"だからこそ、敢えて冒険を禁じ、稀代の企業家孫氏のために、キャッシュを貯め続けなければならなかったのではなかったのか――。
ヤフー本社に孫氏が来ると、エレベーターホールまで井上氏は出迎えて「ささ、社長どうぞ」とへりくだる。「井上さんも社長なのに。やっぱり井上さんにとって、社長とは孫さんのことなんだな」と、目撃した社員は言った。井上氏の気分は、依然として孫氏の「秘書室長」なのだ。
忠誠を尽くしてきた"功臣"井上氏にとって、今回の身の不運はいかばかりだっただろう。
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