7月19日、野田総理が北部九州を襲った集中豪雨を激甚災害指定することを、参議院社会保障・税一体改革特別委員会で表明した。激甚災害指定によって、復旧事業への国の補助率を引き上げ、財政的支援を迅速に行なうことが可能となる。今回北部九州を襲った集中豪雨による水害は、1953年(昭和28年)6 月に福岡や熊本など北部九州4県が大きな被害を受けた西日本水害以上の被害をもたらした。
このかつてない災害に乗じて、待ってましたとばかりに、きな臭い動きが蠢いている。被害が大きかった自治体の一つである福岡県八女市。矢部川水系の支流である星野川が流れる八女市山内地区では、流されてきた濁流によって川の護岸が破壊され、周囲の民家も床上浸水する被害が生じていた。
星野川周辺はいたるところで市内の複数の建設業者が重機による復旧工事を行なっている光景が見られた。同市役所の黒木支所を訪ねてみると、総務課の窓口に早速、工事業者やコンサルタント業者が名刺をもって営業に来ていた。
7月18日夕刻、取材班は、旧星野村へと伸びる国道442号線の災害現場を取材中に、古賀誠元自民党幹事長が視察に訪れた場に遭遇した。視察には、防災服を身にまとった古賀元幹事長のほか、三田村統之八女市長、北嶋藤孝副市長、牧口健二郎建設経済部長、井上勝彦建設課長、福岡県からは、八女県土整備事務所の平島孝幸所長ら12名ほどで訪れていたが、10分ほど道路が寸断されたため重機で工事が行なわれている作業現場を見て、現場の作業員に「課長によろしくいうといて」などと声をかけただけで、再び車に乗って足早に立ち去った。
三田村市長や平島所長は、視察する古賀元幹事長にへつらうかのように後ろをついて歩いていたが、八女市は、古賀氏の視察への同行は「公的」なものと位置づけしている。八女市および八女県土整備事務所は、古賀誠議員からの要請に基づいて応じたものと認めている。
そもそも、県土整備事務所は福岡県の出先機関である。県議会議員からの視察であれば時と場合によっては同行もあり得ようが、政府としての公式な視察ではない一野党国会議員の視察への同行が、災害対策を担う現場責任者としてやるべき仕事として妥当なのか疑問がある。このことについて八女県土整備事務所の副所長は、電話での取材に対し「以前から古賀議員とは親しい間柄であり、何ら問題はない。」と開き直っていた。
建設や防災対策を所管する国土交通省は、2009年の政権交代以降、政治と距離をおいており、一議員の要請には一切応じていない。建設は最も政官業の癒着が問題視されてきた分野である。出先の九州地方整備局にも話を聞いてみたが、本省方針に従って対応しないという。従って同省九州地方整備局ではありえないことなのだ。いまだに八女地域では、地元選出議員と地元自治体との間に不明瞭な癒着関係が続いている明らかな証拠である。
国レベルで行われていないことがどうして地方自治体では許されるのか。自治体幹部や県出先機関幹部の同行は、政治家の顔つくりのために使われた形となる。災害現場視察に名を借りた今回の動きは、まさしく政治利用ではないだろうか。
※記事へのご意見はこちら