世界的に見ても、他に類を見ないユニークな街・秋葉原(アキバ)。電気街からアニメ、ゲームなどのサブカルチャーの発信地へと変遷。AKB48の本拠地があったり、コスプレなどオタク文化を生み出したり。どのように変遷し、どのように発展を遂げていったのか。
<なぜ秋葉原は文化の発信地となったのか>
秋葉原(アキバ)は、新宿、銀座、浅草など個性的な地域の多い東京の中でも異彩を放っている。古くは、戦後の焼け野原、闇市から現在のようなアニメ、ゲーム、漫画などを中心とした文化の発信地に変遷を遂げた。
ラジオ、カメラなどの電化製品、精密機械のパーツから、家電、パソコン、アニメ、ゲーム、漫画まで数々の「メイドインジャパン」を送り出してきた秋葉原。そのルーツ=DNAは、どこにあるのか。
多くの日本の良さを生み出し、「世界のアキバ」と呼ばれるなど海外からも人気が高く、今も多くの観光客を呼び込んでいる。その街の持つ吸引力は、世界各国の観光地と比べても、ある種、独特の輝きを持っている。
世界でも「OTAKU」と評価されるオタクの聖地、"萌え"文化の発信地としても機能している。アキバのDNAとは何か。なぜ、秋葉原は、世界からも注目される存在となりえたのか。
<アキバの変遷>
秋葉原のルーツは、戦後、神田須田町に闇市が広がっていたことに始まる。今の秋葉原から、万世橋を渡ったところにある神田須田町にラジオなど精密機械のパーツを売る露天商が並んでいた。
戦後、GHQが日本を取り仕切っていた時代、1951年に露天整理令が公布される。固定客をつかんでいた露天商たちは、何とか店を残してくれるようGHQに交渉する。ここに、地域での団結力の強いアキバの源流が垣間見える。
総武線の高架下にスペースが空いていて、GHQは、この秋葉原の高架下に集まって店を出すことを露天商たちに許可する。ラジオのパーツの露天商たちは、高架下に集まって開業。これが今のラジオ会館の前身である。この露天商の移転が、現在のアキバへと至るスタート地点だと言われている。
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