<情報交換の場>
時代は下り、70年代後半から80年代前半のマイコンブーム。機械好きの学生やエンジニアの先駆け的存在の社会人たちが、レアなパーツを求めて、秋葉原に集う。「リアルに、直に情報交換ができる場所」という秋葉原のキーワードが浮上する。
80年代後半になると、家電量販店が郊外にでき、大型量販店が台頭しはじめると、秋葉原から客足は遠のくことになる。このピンチに、地元商店街は、扱う商材を家電、パソコンから、ビデオやゲームソフトなどにシフトすることを選ぶ。ソフトの街へと変化していく。一部の店舗が、ビデオのソフトを売るためのアイドルイベントなどを開催。この家電の街からソフトの街への移行が、今の「萌え」文化発祥への分岐点となった。
<こだわりに応えてきた街>
ラジオのパーツを売っていた時代から、秋葉原の地元商店街に脈々と流れているのは、「客のこだわり」に応えようとする気概。それに加えて、客のこだわりの変化の兆しをつかむうまさと速さだろうか。
店員と客、客同士の距離の近さや、コアなファンを取り込み、固定客化していくというプロセスは、ラジオのパーツを売っていた時代も、メイド喫茶やアニメのフィギュアを売っている現在も変わっていない。そこにあるのは、売る方、買う方の両方にある「商材への愛」である。その商材にまったく興味のない人たちから見たら、「この人たちはちょっと変」だと思われてしまうほどの偏愛。
70年代後半のマイコンブームでも、90年代後半のアニメ・エヴァンゲリヲンブームでもしかり。電気街の時代から、現在まで、家電、パソコン、ゲーム、トレーディングカード、フィギュア、アイドル、メイド喫茶と、そこに集うファンのこだわりに応え続けてきた。その彼らの追い求める趣向に応えられたのが秋葉原だけだった。
新宿や渋谷が、若者向けに「広めに、浅めに」だったのに対し、秋葉原は「狭く深く」だった。新宿や渋谷が、おしゃれで、きれいな街並みであろうとしたのに対し、秋葉原は、ラジオのパーツの露天商というルーツもあってか、おしゃれなどはどこ吹く風。"今そこにいる客"のこだわりを追求し、重要視した。このスタンスの違いが、都市の発展の形態を変えたと言えるだろう。
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