<趣味人を引きつけるアキバ>
80年代には、家電の街として、海外からも「メイドインジャパン」の良質な家電製品を求めて、買い物客が集まった。大型の家電店舗が郊外に移り、家電は、秋葉原でなくても安く買えるようになった。
パソコンの部品を売る店は、残った。たまたま、パソコンを部品から組み立てることができる人たちの中に、パソコンゲームを好む人が多く、アニメ、ゲームと客層が似ていた。
97年、アニメの「新世紀エヴァンゲリヲン」がヒット。エヴァンゲリヲンのキャラクターを模したコスプレイヤーたちが、秋葉原に集うようになった。このころのコスプレイヤーたちの心情を想像してみると、「渋谷でコスプレをするのは気が引けるが、アキバならOK」。アキバには、潜在的に存在したコアなファンを受け入れる度量の広さがあったのではないか。
千代田区のまちづくり推進部の担当者は「行政側で誘導したわけではない。自然発生的に、こだわりのある人々がアキバに集い、商業的にその客層を狙った店も集結した。行政側からすると、いつの間にか変わっていた」と話す。アニメのコスプレショップなどが秋葉原に集まるようになる。
大衆と呼ばれる層からは「少し変わっている」と思われるだろう人々=オタクの潜在的な需要に対して、アキバの「許容度が広い」ということが分かると、アキバは加速度的に、アニメ・ゲーム→コスプレ→メイド喫茶→「萌え文化の発信地」へと突っ走ることになる。
今もオタクと呼ばれる客層は、アキバに集う。彼らの集まる場所が、主にアキバでなければならない理由として、趣向を極めるための「場」があり、そこでは、「情報交換」が可能であり、趣味の合う人々との「交流」ができるからだろう。それは、アニメのフィギュアやコスプレやアイドルだけでなく、ラジオのパーツにも当てはまる。ラジオやマイコンの部品を買い、組み立てる場があり、情報交換と交流が可能だった。昔も今も、秋葉原は、人と人のつながりを創出できる街となっている。このことがアキバの吸引力に直結している。
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