――2、3週間前に私は福島県の南相馬市を訪問し、桜井市長とお会いしてきました。あちらは原発があり、環境は全然違うのですけれども、それまでの日常を取り戻すのがいかに大変かということを思いますね。
椛島県議 震災補助はなかなか難しく、どこまで公的に支援ができるのか、個別の課題を住み分け・整理をしてきちんと対応できるようにしておかないと、混乱をきたしたりします。そこから不満を増大させたりしないように、県としても慎重に、かつ早急にやっていきたいと考えております。
――復旧作業を支援するボランティアの方々の活動は、どのようなものだったのでしょうか。
金子市長 近々、ボランティア活動、ボランティアセンターを解散しますけれども、ボランティアとして、仙台市など各地の市役所の方にも来ていただき、大牟田市や大川市など8カ所からトラックとパッカー車を持ってきていただきました。また、近隣の市町村のご支援のほか、ボランティアの方々に申し込みをいただき、2,000人も入っていただきました。すべて手弁当なんですよ。もちろんおにぎりは用意しておりますが、ボランティアの方々が、床の狭いところにいってスコップでかきだし、バケツリレーをやっている姿を見て、市民の皆さんが感謝しておられました。私もボランティアの方々に対して、心から感謝申し上げる次第です。
――これから復興がテーマになってくると思いますが、市長ご自身として柳川をどうしていきたいか、今後の地域再生ビジョンを最後にお聞かせください。
金子市長 浸水した住家の完全復旧と生活支援、農漁業、商工業の復旧が必要です。完全に以前の状態に復旧するには、まだ長い時間がかかると思いますが、災害救助法の適用と激甚災害指定を受けることになりますので、国や県の支援を最大限活用して災害復旧事業に早急に取り組んでいきたいと思います。
今回、かなり報道関係よりトップニュースのかたちで報じていただき、全国の柳川に関係する方たちからも、物心両面ご支援をいただいているところです。1つは、福岡県下のなかでも、米(べい)麦(ばく)・大豆ですね。大豆について一部の地域では泥が被っているもので、植え付けもできません。今期は減収になると思いますけれども、今回を教訓に、河川の整備を国・県にお願いしながら、農地をいち早く復旧していきたいと思います。農業の方々も「市長、早く元に戻してもらえれば、税金を収めるけん」と、そういう気持ちなんですよね。海苔も例年のようにできるように、頑張っていきたいと思います。
あと観光の面では、柳川には川下りなどで120万人が訪れますが、こちらも早急に"復旧宣言"をしたいと思います。「柳川市の水は、川下りコースもよみがえっていますよ」「柳川は大丈夫ですよ」ということを、いつかの時点で宣言し、「柳川の3分の2は沈んでいませんし、これから来ても安心ですよ」と訴えていきたいと思います。
今年5月の10、11日に九州市長会を柳川で開催しましたが、110名の市長にお集まりいただき、良いイメージを持ってお帰りいただきました。今回、心配して電話やお見舞いもいただいておりますが、これを機に改めて柳川もまちづくりを違う気持ちで進めていきたいなと考えております。それは職員も市民も同じだと思います。市民の皆さんも結構おにぎりをつくったり、応援に行っていただいておりまして、いつも市民は、市長の背中を見ているでしょうし、トップの背中を職員も見ています。「市長は大変でしょう」と言われますが、被災を受けた方はもっと大変だと思います。とくに東日本大震災を受けた首長さんはもっともっと大変だと思いますが、気持ちはわかります。同じ気持ちです。
――県議の方からも、これからについてお聞かせいただければと思います。
椛島県議 県としてもでき得ることは、全力で取り組んでいきたいと思っています。さきほど市長からありましたが、災害発生時から市の職員さんの活動を見てきましたが、とにかく懸命に現場で、庁舎で、庁舎外でも一生懸命頑張っておられる姿に、心強く感じましたし、感謝申し上げております。県も国も職員さんに頑張っていただいております。それは当たり前だということはあるかもしれませんが、当たり前でも、私自身多くの皆さんにアナウンスしていき、多くの皆さんに信頼を得られるような活動を先頭に立って、市長のご指導をいただきながらやっていきたいと考えております。1日も早い復興を祈るばかりです。
――本日はお忙しいなか、ありがとうございました。1日も早く復旧し、水郷柳川から災害に強い町づくりを発信していかれることを願っております。
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データ・マックスでは、今回の北部九州を襲った集中豪雨災害に際して社内で義援金を募りました。集まった災害復興義援金20万円については、7月27日に社員2名が柳川市役所を訪問し、金子健次市長にお贈りしております。
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