――私も、河川が氾濫した柳川市六合地区を取材に行きましたが、対岸のみやま市の住民の方や柳川市の方から当日の状況について話を聞いたところ、「国土交通省も堤防のあり方などを考えてもらわないと、あのとき夜も眠れなかった」と、体験を語られていました。
野田 本来であれば上流から水が流れてきたら、あの場所の河川の構造上、護岸の左側、左岸が被害を受けるのが普通です。しかし、実際には内側が被害を受けています。あれも科学的に見たらおかしいです。ですから、原因究明はきちんとやらなければなりません。堤防が決壊した3カ所―中山(柳川市三橋町中山)、本郷(みやま市本郷)、六合は浸水被害も受けており、これらの地区は大変な状況になっています。
――今回ほどの被害をもたらした水害は、昭和28年に発生した「西日本水害」以降はなかったと思います。その後も部分的な水害などはあったにせよ、ここまでの規模ではありませんでした。
野田 やはり、コンクリートで固めた工事が脆かった面はあるように思います。ですから調査をしっかり行ない、そのうえで「価値観のパラダイムシフト」を行なっていかなければならないのではないでしょうか。
――今回、私どもも黒木、上陽、星野などを取材して回りましたが、山間地では崖の斜面に住居が建てられています。また、川の岸壁にも家々が建てられています。さらに、住居だけではなく、車庫や倉庫もありました。ある集落では、濁流で川がえぐられて、かろうじて車は残っているものの、すぐ背後にまで川が迫っているところがありました。
野田 今も、「いつ地すべりが起きるかわからないから、怖くて眠れない」などといった地域があります。しかし、この問題についても、「じゃあ、ここには家を建ててはいけない」と規制がかけられるかというと、それについては難しい面があります。
今、私がご相談を受けているのが、八女市のある業者さんです。この業者は河川敷に工場を持たれているのですが、それが今回、全部水に浸かってしまい、自動車も流されてしまったという被害を受けていらっしゃいます。そこで、「堤防をつくってほしい」との要望を受けています。ただし、堤防をつくったとしても、そもそも工場が河川敷にあるので難しいなど、問題はいろいろとあります。ですから、そういう場所を国や県が買って公園化していくようなことを、これからしていかなければならないと考えているところです。
<プロフィール>
野田 国義(のだ・くによし)
1958年八女郡立花町(現在の八女市)に生まれ、農家の長男として広川町で育つ。福岡県立福島高校、日本大学法学部政治経済学科卒業。卒業後、代議士秘書として生の政治を身につける。93年、34歳で八女市長に当選。当時、全国最年少市長として、「八女のクリントン」と呼ばれる。改革派市長として行財政改革や市職員の給与カットに踏み込むなど労使関係の正常化に尽力。4期16年にわたり市長職を務める。市長時代は、全国市長会副会長、全国青年市長会会長などを歴任。09年9月の総選挙に民主党公認で出馬し当選。九州比例ブロックで当選。現在、民主党幹事長補佐、民主党福岡県連代表、衆議院農林水産委員会理事、民主党お茶議員連盟事務局長などを務める。
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