<A級戦犯は「オンリーワン」に固執した町田勝彦・前会長だ>
2005年1月7日。小泉純一郎首相(当時)は、シャープの液晶テレビ一貫生産工場である亀山工場(三重県亀山市)を視察した。町田勝彦社長(のち会長、現相談役)、片山幹雄取締役(のち社長、現会長)の液晶事業首脳陣が同行し、1時間20分にわたり液晶テレビの生産ラインを見て回った。首相自身の「最先端工場を視察したい」との要望により、実現したという。
当時、シャープは、液晶テレビを「世界の亀山ブランド」と銘打ち、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
だが、「液晶のシャープ」の栄光は遠い過去の話になってしまった。シャープはなぜ、立ち枯れてしまったのか。経営判断の誤りをもたらしたトップの経営思想にまで立ち入って解明する必要があるだろう。
<液晶テレビ「アクオス」の大成功>
シャープのA級戦犯は、最大の実力者で、液晶テレビに賭けた町田勝彦氏(69)である。取締役として25年間も君臨し、今年4月に相談役に退いた剛腕経営者だ。シャープには世襲制度はない。ただ、創業者の弟子たちが姻戚関係を結び、事業を継承してきたことに特徴がある。
シャープの創業者は、シャープペンシルを発明した早川徳次氏。関東大震災で2人の子どもを失った徳次氏は、天涯孤独の少年を手元に置いて、我が子同然に育てた。少年の名は佐伯旭。高度成長期、育ての親の徳次氏からシャープの経営を任され、"中興の祖"と言われた人物だ。その佐伯氏の娘婿が、3代目社長の辻晴雄氏の弟と4代目社長の町田勝彦氏なのである。
1998年、社長に就任した町田氏は「ブラウン管テレビをすべて液晶テレビに置き換える」と宣言。2000年、液晶テレビ「アクオス」のテレビCMに女優の吉永小百合さんを起用して人気を博した。「アクオス」はまたたくに国内首位を獲得した。
家電メーカーの中位だったシャープは2000年以降、ソニー、パナソニックとともに"テレビ御三家"と並び称されるまでになった。液晶テレビの大成功で、町田氏は積極的に設備投資を行なった。その象徴が、04年1月に稼動した亀山第1工場である。産地名をブランド化した「世界の亀山ブランド」は、日本のモノづくりのモデルとされ、経済メディアはシャープを時代の寵児ともてはやした。小泉首相が亀山工場を視察したのは、シャープが絶頂期のときであった。
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