NET-IBでは、ツイッターを活用している橋下市長のツイートをまとめて紹介する。
橋下大阪市長の19日午前9時5分から午後0時8分までのツイートは以下の通り。
今回の一連の騒動を通じて、やっぱりな~と確認できたことがある。今回の週刊朝日の記事に対しては、「この表現は絶対に許されない」という見解と、「もっと議論をしろ」「批判表現として認めろ」「朝日新聞にまで取材拒否と言うのはおかしい」など何かと僕に文句を付ける見解に分かれた。
そして後者の、「表現の自由の一線を超え絶対に許されない」と言い切らず、もごもごとなんやかんやといちゃもんを付ける発言者の多くは、君が代起立斉唱条例や、僕の職員組合に対する対応を「人権批判だ!!」と批判していた人たち。ここが面白い。
君が代起立斉唱条例や組合に対する対応については、色々な見解があると思う。だから最後は司法決着しかないと思っている。君が代起立斉唱条例を成立させたこと、組合対応には、大阪市独自の事情があった上で実行したものだ。ところが条例や組合対応について「人権違反!」と叫ぶ人たちは、なぜそういうことが必要なのかを全く調べもせずに、憲法違反!思想良心の自由違反!人権批判!を繰り返すばかり。住田弁護士、大谷昭宏氏、そして弁護士会、おそらく今回の週刊朝日の記事のライターである佐野氏もそうであろう。そして有田芳生参議院議員も同じだと思う。そしてこういう人たちは、今回の週刊朝日の記事に関して、これは人権違反だと言い切らなかった。
弁護士会も、光市母子殺害事件の弁護団を僕が批判したテレビでの発言については、弁護士の品位を損なうとして僕を懲戒処分にした。この件は、1審・2審では僕の発言に違法性を認めたが、最高裁では表現の自由の範囲内として違法性が否定された。弁護士会は、それでも僕を業務停止にした。朝日新聞も最高裁で僕の違法性が否定されたにもかかわらず、僕に弁護士資格返上を言い放った見解を修正しなかった。
弁護士会は知らん顔。侘びの一つもありません。これが弁護士会の人権感覚。君が代起立斉唱条例、組合対応、教育基本条例などには、弁護士会は、すぐに人権を振りかざして抗議しますがね。
RT @michihisasoda: 最高裁判決の前に、処分されて、そのままですか?
朝日新聞はご存知の通り、君が代起立斉唱条例には反対、僕の組合に対する対応も問題視。まあこれは朝日新聞だけではないけど。僕を批判するのは権力チェックとして当然だけど、要するに普段、人権、人権と言っている人たちは、今回の記事が重大な人権違反だと言い切らなかった。
結局、こういう人たちは、単に権力が嫌いなだけ、権力は絶対に否定、権力にいちゃもんを付けることが自分の存在意義という認識が、意識、無意識にあるのだろう。佐野氏が典型だ。そこには真の人権感覚はない。朝日新聞も、弁護士会も、住田弁護士も大谷氏も。
あれだけ君が代起立斉唱条例や組合問題について「人権違反だ!」と言っていた、朝日新聞や弁護士会、住田弁護士や大谷氏が、今回の週刊朝日の記事については「人権違反だ!」と言い切らなかったのは不思議でならない。権力に一言文句を言っておくというのが、自分の存在意義と感じているのかね。
佐野氏は、僕の人格を問題視した。危険な人物、危険な人格、端的に言えば汚れた血脈だと。そう言っている自分が一番危険な人物・人格、そして持ってはならない思想だという認識が本人には全くない。自分は絶対善なんだよね。僕は弁護士時代、普段人権、人権と言っている奴ほど怪しいと感じていた。だから今回の一連の問題についても、僕は人権違反だ!という言葉で括らずに、自分の考えを述べたつもりだ。弁護士会も朝日新聞もその他色んな番組のキャスターや解説委員やコメンテーターも、普段から人権、人権と言っている者が、本当の人権を理解していないことがよく分かったよ。
僕は知事になってから今まで色んなことを報じられた。腹立つことは山ほどあった。だけど今までは、一言も人権違反だと言ったことはない。それは公人だから、そのフレーズで批判に対する反論をするのは卑怯だと思っていたからだ。人権違反なんて一番簡単なフレーズ。だから会見でツイッターで人権侵害と言う言葉以外のあらゆる言葉を使って反論してきた。今回の週刊朝日の記事についても人権侵害だと言う言葉は使わないようにしてきた。これを公人が言うのはやっぱり違うだろうと。ただ今回はあえて言わせてもらう。今回の記事は完全な人権侵害だ。
君が代起立斉唱条例にも色々意見があることは承知している。しかしそこでの強制は、卒業式と言う子どもたちの晴れの舞台で、国家を歌う際に立ちなさいというものだ。これが思想良心の自由を侵害し、憲法違反だと弁護士会も朝日新聞もしゃかりきになった。大谷昭宏氏も。
ではそれと比べて、今回の記事はどうなんだということ。君が代を歌いたくないという思想を徹底的に守らなきゃならないと言いながら、血の論理については一定の言論の自由を認める。この感覚は僕には理解できない。住田弁護士も一から憲法を学び直すべきだ。
真に悪いと思っていないですから。数時間前まで2回目も読んでね!とツイート。連載も続けるでしょう。
RT @Kenta_Noguchi: 週刊朝日編集長「深くおわび」 してる裏ではトップ広告は未だ「ハシシタ」http://t.co/tlpOKgaG 実に汚くみっともない企業だ。
大谷昭宏氏は、大阪都構想について、昨年のダブル選挙までは、都構想の中身についての政策議論ではなく、「国政が誰も見向きもしない都構想を掲げるなんて政治家としておかしい。法律がなければできないことを目的に掲げるのはおかしい」と批判を繰り返してきた。法律を作るのが政治だという認識が全くなかった。その後都構想法案が成立した後、あれだけ批判して大谷昭宏氏は何も言わなくなった。
今回の週刊朝日の記事についても、僕が昨日の記者会見で出席記者に記事について問うたことに関し「言論人に言論を評価させるのはおかしい。評価するのは国民だ」と批判。言論を評価するのは言論人ではなく、視聴者や購読者だと言うのである。視聴率が上がれば購読数が上がればそれで良いらしい。その論をもって橋下には100%論駁できると言い切った。今、週刊朝日は完売らしい。そりゃ、これだけの騒ぎになれば多くの人が読みたいと思うでしょう。僕はそれを否定しない。
しかしたとえどれだけ週刊朝日が売れたとしても、その表現は今の日本社会では許されない表現なのである。それは購読者だけが決めるものではない。言論人同士が言論を闘わせながら、その状況を国民に提供しながら、国民が判断するのである。だから記事内容について言論人が相互に意見を出し合うことが言論の自由、知る権利をを保障する必要最低限の条件。ところが朝日新聞は別会社のことですからとだんまり。大谷昭宏氏は、「言論人に評価を求めるのは間違い、購読者に判断してもらうものだ」とABCキャストで明言。
売れれば良いなら、許されない表現の方が売れるだろう。それは知りたいと言う人間の本能としての欲求だ。だからこそ言論人が言論を闘わせながら、一定の規範を立てていく。ここに言論人の役割がある。大谷氏は僕に100%勝てると言い切ったのだから、記者会見に来てほしい。
大谷氏は曲がりなりにもジャーナリストを名乗るなら、現場に足を運んで取材するのは当然だ。それともテレビ番組でギャラが発生するコーナー企画しか現場取材をしないと言うのであろうか。君が代起立斉唱条例問題も、僕の居ない所で散々批判していたが、直接討論したら大谷氏はきちんと反論できなかった。言論の評価は、視聴者・購読者のみに委ね、言論人にその評価を尋ねるのは間違いだと言う大谷氏の論は間違っている。大谷氏の論によれば、今、週刊朝日は完売しているのでその表現は問題ないとなる。そして大谷氏は、100%自分の論が正しく橋下を論駁できる言っている。
大阪市役所は、大谷氏が毎週、番組出演のために通っているABC放送と至近距離。大谷氏がABC放送に通う通り道にある。時間がないとは言えないはずだ。今回、僕と直接公開討論できないなら、コメンテーターは引退した方が良い。
RT @oochan9: @t_ishin @aritayoshifu 大谷さんの論は人権侵害でも売れれば正しいと言ってるようなものですよね。すでに論が破綻してるのに100%論破できるって言い切ってました。
RT @namatahara: 週刊朝日の橋下さんの連載記事を読んでびっくりした。お詫びはよくわかるが、なぜこんな記事がでたのであろう。
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読売テレビの山川記者も、番組テンで、僕が記者会見で議論したのは、
1、国民に共感を得るため
2、メディアに共通認識を持たせるため
ともっともらしい解説をしていた。そして1はまあまあ成功、2は無理だと。
まあ一言言いたいのだろう。しかし、その表現が日本社会で絶対に許されないものであることの認識が完全に欠如。僕は国民に共感を得るためでも何でもなく、これは許されないものであるから会見で自分の意見を述べた。見えない所でメディアに働きかけることは嫌だから。山川氏ももう少し勉強しなさい。
Twitter:橋下徹 (t_ishin) より引用(原文ママ)
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