衆議院議員総選挙で完敗し、飯田哲也氏が嘉田由紀子滋賀県知事らとともに立ち上げた日本未来の党は、小沢一郎氏の率いていた旧・国民の生活が第一のグループと分党するなど、苦境に立たされている。しかし、くじけることなく、持論の「卒原発」からのクリーンエネルギー革命の推進を目指すという。今後も地元・山口県を軸に政治活動を続ける飯田氏は、山口県知事選、そして総選挙をいかに戦ったのか――。
<分厚い壁には届かなかった...>
時折、目をしばたたかせながら、少し疲れた表情で選挙速報を報じるモニターを見つめた。持参したパソコンで自身が立候補した山口1区の票の行方、日本未来の党のほかの候補者たちの情勢に目を配った
票は伸びなかった。「分厚い壁には届かなかった...」。衆院選の投開票が行なわれた12月16日、東京千代田区に設けられた開票センターで、日本未来の党・飯田哲也代表代行は、声を落とした。
山口1区、自民党副総裁の高村正彦氏が獲得した票は、13万3,776票。これに対し、飯田氏は3万5,622票(得票率17・55%)にとどまった。次点とはいえ、遠くおよばなかった。比例代表でも卒原発を旗印にした日本未来の党には冷たい風が吹いた。
自民党の前に完敗。嘉田由紀子滋賀県知事を代表に据え、フレッシュさを打ち出したはずの日本未来の党は、小選挙区での勝利が岩手4区の小沢一郎氏、広島区の亀井静香氏の2議席のみ。比例を合わせて9議席と苦汁をなめた。この敗戦と党内の主導権争いを受け、まず、愛想をつかした亀井静香氏が離党。そして結党1カ月で分党という散々な結果に終わった。
飯田氏の地元山口では、支援の輪が少しずつ広がりつつあったが、選挙での票は停滞した。「最初の1週間は空回りしていた。手を振る人の数とか、日に日に増えていく感触はあった。知事選にも出て、その時の遺産は感じたが、公示1週間前にできた党で時間不足。後手に回ってしまった」と、飯田氏は12日間を振り返った。あわただしく選挙戦を戦ってきた飯田氏の顔には疲労感が見えたが、その表情は落胆とは少し違うものだった。
投開票前日(15日)、飯田氏は、山口県周南市徳山にいた。師走の雨のなか、選挙区の周南市、そして比例での支援を訴えて隣の下松市へ。その前日(14日)には、山口市の湯田温泉と、広い選挙区を走り回った。
街頭演説先では、「飯田さん、頑張って!」「期待しています!」という暖かい声援が送られる一方、「エネルギー改革、本当にできるのか?」「卒原発だけが争点ではないはず」「経済をどうするのか」という厳しい声も飛んだ。
「小沢一郎氏と組んだのはなぜか?」「国民の生活が第一と合流したが、政策は一致しているのか?」。民主党・野田佳彦首相による突然の解散で、有権者たちの疑問に十分に答えるだけの準備期間が取れぬまま、選挙戦になだれ込んだ。
| (2) ≫
※記事へのご意見はこちら