<「これからも山口で」>
朗らかで気さくな性格とは裏腹に、精神には粘り強さやタフさを持ち合わせている。敗戦にもめげていない。「ゼロからの出発だったので、足場を築くことができたと思う。これからも山口に軸足を置いてやっていく。山口の支援者と相談しながらやっていく」と、ことさら"山口"を強調した。
萩、防府、下関、周南、岩国、柳井、長門、上関...。自然が豊かな山口をくまなく巡り、その良さを見つけながら、県知事選以降、政治活動を行なってきた。「地域から進めていくことの重要性」を強く感じている。故郷・山口から変化を起こすという7月に決意した信念を今後も貫き通す。
2012年は、激動の1年だった。選挙戦最終日の12月15日、山口県下松市のショッピングモールで、選挙活動の合間に写真撮影に応じた飯田氏は、「はい。激動ですね...この1年...」と、柔和に笑った。「これからも、しがらみのない新しい地域社会を作っていくことを目指したい。山口を私のフィールドとしてずっとやっていく。これは、この後もずっと変わらない」。力強く言った。
12月16日、東京都内のホテルに設けられた日本未来の党の開票センターで、モニターを見つめた。自民党の候補者に続々と当選確実が灯っていく。山口1区の自らの票も、自民党・高村副総裁の獲得した票数には遠く及ばなかった。悔しさや落選が決まっていく未来の党の候補者たちに申し訳ない気持ちもあったが、新たな闘志も湧いてきた。
衆院選は終わった。結果は惨敗。「これからが始まり」。飯田哲也氏は、つぶやいた。信念である卒原発を粘り強く訴えていく。山口に支援者がいる限り、あきらめない。そういう強い思いでいる。
新しい地域社会の構築に向け、飯田氏の持論は、実現へと向かえば、閉塞感のある地方の経済状況に希望を与えるものでもある。
ただ、今回、飯田氏を下した自民党も市議会、県議会と揺るぎない基礎票を持っている。この地盤、しがらみを崩し、新しいつながりを作れるのかどうか。
「壊し、作る」のが改革。幕末の長州人たち、高杉晋作、木戸孝允らも、何度か挫折しながら粘り強く明治維新を成し遂げた。彼らにあったのは、苦境に立っても現実にしていくことをあきらめないタフさと熱い魂だろう。
飯田氏は、宿願である「山口からのエネルギー維新」を達成するにあたって、誰にも負けない気骨、気概を持っている。「既得権を壊して開かれた地域社会を作ろう」という声に、山口県人たちは、呼応するのか、どうか。
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