<戦前、雁ノ巣に存在した国際空港>
「もし、3期目をやっていたら、まちづくりと空港の移転をやりたかったですね。とくに空港移転はやらなければいけなかった」
山崎氏は福岡市長時代、福岡空港の移転を主張していた。福岡空港は、全国の空港でも九州の玄関口である博多駅から地下鉄で数分という利便性のきわめて高い空港である反面、夜間の騒音問題や発着回数の限界問題が指摘されていた。過密化対策として地元経済界などから空港移転が主張されていた。
当時、新宮沖など複数の移転候補地が挙がっていたが、山崎氏の考えていた候補地はどこだったのだろうか。
「移転地は雁ノ巣(福岡市東区雁ノ巣)が一番だと思っていました。戦前、雁ノ巣には日本で唯一の国際空港があったのです。プロペラ機で北京や上海に飛んでいたのです」
山崎氏が雁ノ巣を主張したのには理由がある。戦前、雁ノ巣には福岡第一飛行場という日本最大の国際空港があった。滑走路は800メートル級2本の交差型で、中国や台湾などへの路線が開設されていた。戦後、同空港は米軍に接収され、在日米軍の訓練などに利用されていた。1972年日本に返還され、現在は跡地が福岡市雁ノ巣レクリエーションセンターとして整備されている。現在、雁ノ巣にはJR香椎線が走っており、現在地と比べて都心部からは離れるが、交通アクセスは悪くないというのが山崎氏の認識だ。
「役人は、反対のための理屈だけはしっかり持ってくる」
福岡空港の抱える問題を解決するには空港移転しかないというのは、同氏だけではなく、経済界も含めた共通認識だった。だが、雁ノ巣への移転構想に対しては、予想以上に抵抗があったという。
<空港移転をめぐる県との対立>
空港移転をめぐって県との意見の対立が目立った。当時の麻生渡県知事は、空港移転候補先として新宮沖を主張。一方、山崎氏は雁ノ巣への移転を主張していた。
「知事は、福岡市に空港があると県が入りにくいから新宮沖を提案していた。だから知事に『新宮町も福岡市と合併しなきゃいかんですね』というと、知事は"とんでもない"といい、助役がまあまあととりなしたことがあったよ」と、山崎氏は笑って話す。
最終的に福岡空港は現在地のままとなったが、麻生知事との確執は、福岡市が一般の市町村と違い、予算も権限も有することが背景にあるという。以前から、福岡市は県と対立する場面が少なくなかった。新宮沖に移転となれば、福岡市の権限は及ばなくなる。当然、県が前面に出る場面が増える。
山崎氏の話を聞きながら、その表情や口調から市長時代に空港の移転が実現できなかったことを非常に悔やんでいることがうかがわれた。もし、同氏がいうように雁ノ巣への空港移転が実現していれば、騒音問題や年間3億円を超える地権者に対する環境対策費の負担などは解決したかもしれない。
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