衆院国家安全保障特別委員会で26日、特定秘密保護法案が強行採決され、自民、公明、みんなの党の3党の賛成多数で可決。本会議での採決へ国会内外は緊迫した局面を迎えている。同特別委員会で日本維新の会は退席、民主党、共産党は反対した。
秘密保護法案の問題について自身のメルマガ「日本一新」で警鐘を乱打してきた日本一新の会の平野貞夫代表(元参院議員)が指摘する同法案問題の「根本」を、国会審議の節目にあたって紹介する。同氏は「国家が特定の機密を一定期間秘密として保持することに反対するものではない」としつつ、「特定秘密保護法案は廃案にすべきだ!」と繰り返し発信してきた。
平野氏は、「憲法の国民主権の根幹は『国家が持つ情報は、国民のものである』という哲学・思想がその前提にある。その考えの元で秘密の保持といえる」と指摘する。
同氏は「法案の趣旨は『安全保障』という曖昧な概念のもと、行政機関が『特定秘密』とすれば、それを漏洩する者を処罰するというものだ。21世紀の高度情報化社会で、人間が政治・社会・文化など活動することは、すべて公共に関わる情報を、いかに活用するかということである。『知る権利』とは、公的機関が公平に活動しているかどうかを、国民・市民が正確に知る権利のことなのだ」と強調する。
そして、「新たに秘密保護を法制化するなら、少なくとも次のような思想を国会議員が共有すべきである」として、次の3点を挙げる。
(1)議会政治の歴史は、国家権力(官僚)が隠す情報を如何に国民のために開示するかにあったこと。(2)デモクラシーの進歩とは、公権力が持つ情報を公開することによって担保されること。(3)時代の変化による「秘密保護」の必要性がある場合には、現行制度のどこに問題があるのか、さらに過去の制度の問題点を十分に検証すること。
同氏は、「これらは議会民主政治を標榜する国家なら常識」と言い切る。
その常識が通じない国会と議会政治を、「仮面議会政治」、「憲法政治以前の狂気の政治」と指摘。「特定秘密保護法案」は「常識以前、憲法政治以前の問題を抱える」と指摘し、「自民・公明の与党のみならず、のめのめと修正協議を合意した『日本維新の会』と『みんなの党』の対応は、もはや議会主義政党とはいえない。狂気の沙汰」、「日本の大・中政党はもはや日本国のデモクラシーを崩壊させるために存在しているとしか思えない」と、憂慮している。さらには、「否、このような政治的幼児を選び出した国民にも大きな責任がある」と、議員を選んだ国民にも主権者としての自己変革を求めている。
「野党らしいのは、共産党・生活の党・社民党」という平野氏は、これらの党に対しても「議会政治の形式論の域を出ない。秘密保護法案の審議を見ても、本質を鋭く突く論議はまったく見えない」と述べ、脱皮を迫っている。同氏は、同法案の「知る権利など基本的人権・国民主権に抵触する問題点」が「星の数ほどある」うち、第10条の「その他公益上の必要による特定秘密の提供」の規定を特に取り上げて、こう述べている。
「国会の活動を規制し『特定秘密』の取扱いについて、立法府を行政機関の下位にする問題がある。また、司法府に対しても、刑訴法および民事法において、行政機関の判断を優位とし、事実上正当な裁判を不可能とする問題がある。立法・行政・司法権の憲法原理に真っ向から反するものだ」。
また、衆議院審議ではほとんど論議されていない「治安維持法」(1925年制定)との関係で、次のように論じているのも注目に値する。
平野氏は、「治安維持法時代は、『国体等』を護るためどのような行為をすれば、こう処罰するという要件を明示していた」のと比較して、「特定秘密保護法案では、情報を秘匿することで知る権利を封じ、政治・社会・文化などの活動を、包括的に網をかけるように妨げることが可能になる」として、「治安維持法より悪質で、市民社会を冒涜する」と批判。「特定の政治権力が情報を独占的に支配することを可能にする」と、その恐ろしさを語っている。
平野氏は、秘密保護法案についての論述(メルマガ「日本一新」188号)をこう結んでいる。
「確かに安全保障は大事だ。わけてもテロ対策は重要である。無差別に行う過激派テロにはしっかりした対応が必要だ。しかし、それは民主主義を阻害するものであってはならない。テロリズムを拡大再生産させるだけだ。テロを育成する根本の対策が必要だ。過激なマネーゲームの金権亡者はテロリストと同じだ。マネーゲームに通じる政策を反省する方が、特定秘密保護法の制定より有効なテロ対策である」。
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■日本一新の会について
平野貞夫氏が代表を務める、2010年6月発足の任意団体。「日本一新」とは2000年の総選挙で、当時の自由党党首小沢一郎氏が提唱した運動である。その後、民主党で「共生社会の実現論」に継承され、「国民の生活が第一」という政治目標になり、09年の政権交代を成功させた。現在は、「生活の党」の理念に継承されている。
<プロフィール>
平野貞夫氏
1935年、高知県生まれ。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士。衆議院事務局に入局。園田直衆院副議長秘書、前尾繁三郎衆議院議長秘書、委員部長等を歴任。92年衆議院事務局を退職して参議院議員に当選。以降、自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と一貫して小沢一郎氏と行動をともにし、小沢氏の「知恵袋」、「懐刀」と呼ばれている。『平成政治20年史』、『小沢一郎完全無罪「特高検察」の犯した7つの大罪』他著書多数。現日本一新の会代表。
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