<政権批判に転じた韓国メディア>
パク・クネ政権への同調的な報道を続けてきた韓国メディアは、一転して、政府批判を強めている。朝鮮日報の社説は次のように指摘した。
「300人近い乗客が船と共に海底に沈んでいる緊迫した状況で、2日以上にわたり救助隊が船内に入れない現実を目の当たりにしながら、世界のどの国が大韓民国を『世界最先端の携帯電話を製造し輸出する国』」だと信じるだろうか」。こういう言い方はいかにも韓国紙的だ。
さらに言う。「国民は政府当局が事故原因について明確な説明もできず、乗客の数や救助された人の数、またそれが誰なのかについてさえ把握できずおろおろする様子を見ながら、政府関係者の事故対応能力がいかに低レベルかをあらためて知った」。
どさくさまぎれに、日本のニュースにも、低質なコラムが登場した。以下は、YAHOO!JAPANニュースで引用されたコラム「珍島の旅客船沈没と日韓文化の違い」である。どこかで聞いたような俗流文化論を継ぎ合わせて、ここぞとばかりに「韓国たたき」「日本の優越感」をくすぐった。例えば、こんなくだりだ。
<韓国では葬式の際に家族らが棺を墓場まで運ぶのに使う「喪輿」(サンヨ)の文化が、日本では「神輿」文化であり、両国のこの文化は死や神との共感の象徴であるとの主張もある。なお、日韓の歴史学者の間でも祭りでの掛け声である「ワッショイワッショイ」の語源は韓国語だと主張する人もいる>。
この「ワッショイ=韓国語語源説」は、1970年代以降、在日韓国文化人が言い始めた俗説だが、実は古代韓国語自体が未解明。時流に乗っているとしか言いようのない言説なのである。
<望むのは「英雄」ではなく、責任と規制順守>
韓国で最大の部数を誇る朝鮮日報が、東京特派員の経験があり、バランスの取れた論評で知られる鮮于鉦(ソンウ・ジョン)氏を最近、国際部長に起用したのは、賢明な人事だ。彼は最近のコラムで、こう書いた。
「韓国社会の安全に責任を持つべき地位に、セウォル号の船長のような人物は、いくらでもいる。下心を持つことなく、乗客のために命をささげる英雄のような船長を望んでいるのではない。王も大統領も、国民を見捨てて逃亡した過去があることを知っているだけに、『船長よ、あなただけは乗客と運命を共にせよ』と強要するのも恥知らずなことだ。命を捨てろとまでは言わない。ただ、自ら与えられた地位に責任を持ち、規則を守ってほしいということだ。船が沈みそうになったら、マニュアル通りに行動し、中にいる子どもたちを避難させてほしいということだ」。
「国連のコフィー・アナン前事務総長は『先進国』についてこう定義している。『全ての国民が安全な環境の下、自由で健康な生活を送れる国』。この点で韓国は依然、途上国のままだ」。
このような自制に満ちた姿勢が、大韓民国の発展を支えてきた底流にあることを、軽薄な嫌韓的言説でメシを食う一部の日本メディアは、知るべきであろう。
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<プロフィール>
下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授を歴任。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授(マスメディア論、現代韓国論)。
メールアドレス:simokawa@cba.att.ne.jp
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