「本会議ドロン2カ月」
6月4日付けの共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が、渡辺喜美みんなの党前代表が国会に全く出席していないことをこのように揶揄して報じた。
健康食品会社の会長から8億円を「融資」してもらったことが発覚した渡辺氏は、4月7日の代表辞任会見以来、その姿を永田町で目撃されていない。
「ゆゆしき問題だ。西松建設事件で蟄居を決め込んだ小沢一郎氏でさえ、本会議には必ず出席していた。渡辺氏は国会議員としての最低限の義務すらも果たしていない」
いまや党内からですら、渡辺氏に対する強い批判の声が出始めた。通常国会は6月22日で終了するが、150日間の会期の間で渡辺氏は80日以上も欠席していたことになる。それでも歳費(5月から満額支給の129万4,000円)と文書交通費(月額100万円・非課税)は、満額が渡辺氏に支払われている。当然、ボーナスも全額支給される。一般企業ではとうてい考えられないほどの優遇ぶりだ。これでは国民から「税金泥棒」とそしりを受けるのも免れない。
「渡辺氏はあの事件でかなり精神的にまいっていて、自宅に籠りっきりらしい」
一方でそういう話も漏れ聞いた。本当に渡辺氏が病気なら、本会議を欠席してもしかたない。だが「別の情報」も入っている。「渡辺氏は地元で積極的に政治活動を展開中だ」という話だ。
「すでに地元の栃木では、2012年にみんなの党系の大田原市議6名全員が離党するなど、求心力を失っている。加えて今回の代表辞任の騒動で『次』はないと見た渡辺氏は、甥で参院議員の渡辺美知太郎氏や昨年の都議選で中野区から出馬して落選した美智隆氏を、『私の後継者として宜しく』として説明にまわっている。どうしても『渡辺家の栃木3区』を死守したいようだ」(栃木県関係者)
では渡辺氏は次期衆院選には出馬せず、政界を引退してしまうということなのか。それはいささか諦めが早すぎて、政治に執着を見せる渡辺氏らしくない気がするのだ。
渡辺氏は2009年に自民党を離党し、みんなの党を立ち上げた。同年に行なわれた衆院選では、自民党を嫌った保守層の票を取り込むことに成功。確実な組織票を持つ公明党をしのぐ票数を獲得した選挙区もあった。さらに2010年の参院選では選挙区と比例区で10議席を獲得し、改選第3党に躍進する。この時のみんなの党は本当に勢いがあった。
それにすっかり酔いしれていたのだろう。当時の渡辺氏は本気で天下を狙っていたという。やがてみんなの党は与党第一党になり、自分が総理大臣に就任する、そんな夢を描いていたのだ。
だが2010年の参院選をピークに、みんなの党の得票率は減少していく。たとえば2010年では参院比例でみんなの党が獲得した票数は約800万で得票率は14%だったが、2012年の衆院選の比例では520万余りで得票率は8.7%と大きく減少した。
さらに2013年の参院選では比例の得票数は500万を切ってしまった。一定の議席を確保することには成功したものの、国民の支持はいまいち盛り上がりに欠けるようになった。これでは渡辺氏の天下獲りの実現は難しい。
そこで渡辺氏は大胆に方向転換を行なった。もともと自民党を批判して離党したという経緯から、政策面ではリベラル色を強調していた。しかし一気に保守色を強め始めた。これは「みんなの党が10年やそこらで与党になれると思っているのか。あなたもあと10年すれば70歳を過ぎる。小沢一郎氏と同じ年齢だ。その時にそんな老人を担ぐ人はいると思うのか」という側近の忠告に渡辺氏がショックを受けたためだと言われている。すなわち渡辺氏は総理大臣への道を短縮するためにみんなの党の発展を諦め、自民党にすり寄ることで与党入りを目指し、その枠組みで天下を獲るという戦略に変えたのである。
その背中を常に押し続けたのが、渡辺氏の妻のまゆみ夫人だった。
(つづく)
【永田 薫】
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