政治経済学者の植草一秀氏が6月24日付のブログ記事で、梓澤和幸氏の著書『リーガルマインド』を紹介しながら、市民社会と権力の暴走を論じ、取り調べの全面可視化の必要性とNシステムの問題点を指摘している。NET-IBでは、同記事から前半の一部を抜粋して紹介する。
弁護士で山梨学院大学大学院法務研究科教授を兼任している梓澤和幸氏が、『リーガルマインド』と題する著書を刊行された。副題は、「自分の頭で考える方法と精神」。
梓澤氏はNPJ代表、日本ペンクラブ理事も務められている。私が巻き込まれた冤罪謀略事件に関連した報道被害事件でも弁護団を組織して、訴訟を指揮して大きな勝利を勝ち取って下さった。今回、私が提起した再審請求では、港合同法律事務所の安田好弘弁護士と西田理英弁護士が弁護人をして下さっている。多くの素晴らしい弁護士が存在してくれることは、本当に心強い。
上掲書のまえがきに、こう書かれている。
「本書は司法試験を目指して法学の勉強を思い立った人や、すでにロースクールなどへの入学を果たしたが、何となく核心をつかんだ感じがしない、そして入門、初級から中、上級を目指したいが、勉強の方法論はこれでいいと言うところまで達していない、何とか一つ上を目指したいという人のために書かれた。」
法曹を目指す人々のために書かれた書ではある。まえがきには、さらにこう書かれている。
「知識量をいくら積み重ねても合格への道は開けない。どこかで受験勉強ではない、法学という学問の神髄にふれる飛躍が必要なのである。このジャンプがなければ仮に受かっても、学説と判例を貼り付けるだけの文章しか書けず、第三者の共感を獲得できる口頭弁論と尋問もできない」「人は人生に1度しかない困難を抱えて法律事務所の扉をたたく。その苦しみに共感し、一緒になって悲しみや苦しみの中から立ち上がる。そんな法律家になりたい。そして育てたい。そのために必要な自分の頭で考える方法と志とは何なのか」
本書は、法曹を目指す勉学者のために書かれたものである。しかし、本書を読むべき人は、法曹を目指す勉学者だけではない。本書は専門書ではあるが、同時にエッセイであり、文学書である。梓澤文学が徹頭徹尾散りばめられている。市井の市民が読み、味わい、思考するための書である。限りなく奥行きが深いのである。
「ノートのとり方はどう、答案の書き方はどうこうせよ、基本書の独習と授業の関係はどうしたらいい、といったプラグマチックな方法論にふれていないから、そういうことを期待する向きには、あまたあふれる受験参考書を手に取られることをお勧めする」とあるように、受験参考書ではないのである。
本書を読みこなすことは容易ではない。しかし、じっくりと時間をかけて、反すうしながら、しかも、味わいながら、第一級ワインを熟成させるように読み込んでゆくべき書である。
もちろん、法曹を目指す人々は、受験参考書に直行する前に、本書を手に取るべきである。法律家の仕事は、学説や判例の暗記だけで務まるべきものでない。大事なことは、法の精神と構造をつかみ、それを論理的に活用すること。
そして、梓澤氏が強調するように、困難を抱えて法律事務所の扉をたたく人々の苦しみに共感し、一緒になって悲しみや苦しみの中から立ち上がる力と想いを有すること。これが法律家に本来求められる属性である。
本書の末尾に、作家の井上ひさし氏が遺した『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)が紹介されている。井上ひさし氏が亡くなられたときに、梓澤氏が国立駅前の書店で購入された、書店にただ一点置かれていた井上氏の著作だった。
梓澤氏は、同書に記されていた井上氏の言葉を紹介する。
「自分にしかわからないことを誰にでもわかるように書く」「物を考える一番有効な方法―それは書くことである」
同書は、岩手県一関で開かれた作文教室を再現した本である。その模様が梓澤氏の著書に紹介されている。感動のエピソードが記されているので、ぜひ梓澤氏の著書をご高読いただきたいが、作文教室の最後の井上ひさし氏によるスピーチの言葉が印象的である。
「みなさんの文章を読んで、人はさまざまなところで、一生懸命悩みながら、困りながら、しかし頑張って、頑張って生きているんだな、ということを、今回は身にしみて感じさせられました」「書いては考える、考えては書く。そうして一歩ずつ前へ進みながら、ある決断を自分で下して行く。...物を考える一番有効な方法―それは『書く』ことであることを確認して、わたしの話を終えたいと思います」
梓澤氏の著書は、私たちが、自分の頭でものを考えるための書である。
※続きは、メルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第896号「取調べ過程の全面可視化とNシステム」で。
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