70年代には海外留学というのは、一部の階級にだけ可能なことで、理工系の場合には大学2年生以降に、人文社会系の場合には大学卒業してから留学に行くのがほとんどであった。しかし、海外留学が自由化した後には、海外留学にも変化が現れ、早期留学という名目で小学生、中学生、高校生も留学に行く隊列に加わった。
12年度の統計によると、韓国の学生が海外留学の1年間で使う費用の合計は4兆7,000億ウォンで、12年度の海外留学生の合計数は26万名である。93年度には留学生が1年間で使う費用は2,300億ウォンだったので、その間でどれほど数字が伸びているかがよくわかる。
OECDの統計によると、留学生の増加趨勢では、世界的には中国、インドに次いで韓国は3番目である。
韓国の両親は今でも子どもの教育のことなら、どんな犠牲もいとわないという風潮が根強い。子どもの将来のために小学生を留学させる場合、どうしても母親が子どもの面倒を見るためについていくことがある。父親は韓国で頑張って学費を稼ぎ、留学費と生活費を外国へ送る。家族が離れ離れになることによっていろいろな弊害があることも表面化し、今は縮小傾向にあるが、一時期、筆者の周りにはこのような家族が相当いた。
このような家族の父親を表現する言葉が、韓国には3つある。「かもめ」「ペンギン」「ワシ」である。飛ぶことができないペンギンのように、留学費用だけを送り、本人は家族のところへ行く余裕のない父親は「ペンギン」。渡り鳥のように、年に1、2回は家族のところに行く父親は「かもめ」。資金的に比較的余裕があり、行きたいときにいつでも家族のところへ飛んでいける父親は「ワシ」である。
今でも筆者の周りには「かもめ」お父さんがいて、子どもと母親は留学地に行っている家族がある。
このような早期留学は、幼いときから言語を取得することによって、発音、文化への適応の面で肯定的な面もあるが、問題も多く孕んでいるのも事実である。
教育は、単純に言葉を習得するのに終わらず、自分も知らないうちにその国の社会と文化を習うことによって、アイデンティティも変化させる。実際、留学で成功するためには、ある意味では韓国人のアイデンティティを維持するよりは、アメリカ人に変化する必要がある。なので、ある意味では留学に成功した子どもは、韓国人ではなく現地人になることである。ところが、アイデンティティは簡単には変わるものではない。子どもは現地でそれなりに頑張って生活していくが、現地人にとっては完全に溶け込んでいない異邦人として映るだろうし、トラブルでも起こしようものなら"異国の非行青年"の烙印を押される可能性も高い。
海外留学のプラス面は、外国の言語と文化を習得して、グローバル時代の人材として活躍できることであろう。それから本人にとっては、外国の創意性のある教育制度に接することであろう。しかし、多くの費用をかけて海外留学に行ったにも関わらず、投資に見合う結果を収めるのが難しいのも現実である。
また、人種差別や言語の障害、カルチャーショックなどが原因で、酒やギャンブル、ゲームなどに溺れることも多い。外国へ行って思春期を経験したり、両親の保護が必要な時期に海外留学をしているので、それによる情緒の不安や寂しさに耐え切れず、極端な場合には自殺を図ることもある。
早期留学のそのような問題点への反省から、その後、短期研修や韓国での英語キャンプへの参加、外国人教師の採用など制度を補完する案もいろいろと出ている。
狭い国土の韓国だけでは市場として成り立たない点に加え、グローバル競争時代など、まだまだ海外留学に自分の一生をかけたくなるような環境はなくなったわけではない。
しかし、世界経済が格差を広げている現在、言語の教育が目的である留学にも、事前の徹底的な準備と費用対効果、将来への効用などを吟味する必要があるだろう。
(了)
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