<「日本国」は7世紀末にでき8世紀初頭にその容を整えた(その1)>
この連載の第1回目で「誕生したばかりの『日本国』その唯一の外交窓口として外来の人と文化を受け容れたのが『鴻臚館』の前身『筑紫館』である」とした。そのとおり、「日本国」は筑紫館の誕生の頃成立したのである。
日本の成立に直接関連した歴史的事項を列挙する。
663年白村江の戦、672年壬申の乱、689年飛鳥浄御原令、701年大宝律令制定、710年平城京(その前に694年藤原京)に都、712年古事記、720年日本書記。
ここには聖徳太子も、大化の改新(645年)も登場しない。そんな人物や事件が本当に存在したのか?ここでそれを論じる余裕はない。仮に「存在した」と仮定しても、それは所詮列島の一地方での事であって、日本国の都である大和の飛鳥でのことでは断じてない。日本国ができ、ヤマトに都が出来たのは、壬申の乱の勝者大海野皇子が初の天皇を名乗り、大和の飛鳥浄御原を都として以降の事だ。それが令として発せられたのが持統の代、689年なのだ。飛鳥宮も、難波宮も、大津の近江宮も、近畿地方の一王宮に過ぎない。
一般的には「意外」に感じる方が多いのだが、専門に、まじめに古代史を勉強した人には、そんなに抵抗なく受け入れられる「常識的な」話だろう。
それでいて、そのことを公言せず、文章にはしないのも、この国の学者の「常識」である。だから、それから1300年経た日本という国は、「自らの国が何時できたのか」を学校教育で教えない珍しい国、世界常識からみればそれこそ「非常識な国」なのだ。
この文を目にする読者に「日本が何時できましたか?」と質問して、迷わず解答できる方がどれだけいるだろうか?鴻臚館跡展示館で尋ねてもほとんど回答はない。「古事記に書かれた神話では...」とか、断った後に小声で返答する人も時にはいる。しかし神話は神話である。当人も、神話が実話だとは、毛頭思っていないのである。第一、神話に年号は書いてないし、神話に日本は登場しないのである。「神武が日本を建国したのは、紀元前660年」などと唱え出したのは昭和である。1940年に紀元2600年祭を国威発揚の目的で開催する政治の都合で、勝手に逆算された年号でしかない。恐ろしくいい加減である。
添付した写真を見ていただきたい。一昨年2012年に「古事記完成1300年記念事業」として、考古学の権威、橿原考古学研究所が作成したポスターである。
「日本国」の誕生~古事記が出来たころ~とある。
日本国が出来たのが紀元前660年ではなく、紀元712年頃だったら、戦前の歴史教育は1370年以上も鯖を読んでいたことになる。そのことを、天下の橿考研がポスターの表題で宣言したのは、画期的な事である。
とは言っても、さすがは粘り腰。「日本国」の誕生は、「倭国」がその国号を「日本」と改めただけだ、という言い訳を最後のよりどころとして残しているのだ。それは、本当なのだろうか...?
次回から「倭国」と「日本国」の違いを述べる。
(つづく)
【溝口 眞路】
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