2024年12月23日( 月 )

脊振の自然に魅せられて2015(2)

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 「脊振の自然を愛する会」(福岡市早良区、池田友行代表)の池田友行代表は、背振の環境保全活動を行ないながら、美しい自然の数々をカメラに収め、写真集「脊振賛歌」を発行した。続編が待たれるなか当連載ではフォトエッセイとして、背振の魅力を紹介する。

脊振山系山開き開催

開催までのいきさつ

 2008年より取り掛かった早良区と糸島市にまたがる脊振山系の道標設置が、2013年3月にその数270本となり設置し終えました。
 早良区管轄は脊振山~三瀬峠間を西南学院大学ワンダーフォーゲル部OBOGと学生を主体とするボランティアで70本設置し、糸島市管轄は井原山~十坊山まで伊都遊歩道クラブが200本設置しました。
 道標設置は壮大な事業でしたが、その活動があまり知られていなく、かつ50㎞にも及ぶ縦走路に5年がかりで設置されたという事も併せてアピールする必要があると感じていました。
 脊振山から三瀬峠間の道標設置を記念して、2009年よりクリーンアップ登山を春と秋の年2回、早良区役所と西南大ワンゲルと恊働で行ってきましたが、参加者も増え、かつクリーンアップ登山が認知されて来ましたので、2014年の春の分から山開きを開催すると計画へ切り替えました。
 伊都遊歩道クラブの小川会長、川上さん、脊振の自然を愛する会の平副代表に声をかけて、糸島市の経済振興部観光課を訪問し、経済振興部部長に「一緒に山開きをやりませんか」と持ちかけました。
 私が市長に差し上げた写真集『脊振讃歌』も市役所で保管されており、道標設置事業の事も部長はご存知でした。話し合いの結果、費用の面などを除いて山開きを開催する事で意思表示を得られました。
脊振山系は佐賀県、佐賀市も絡んでいますので、面識のある佐賀県副知事、佐賀市政策審議官にメールをそれぞれ入れて担当部署を教えてもらいました。後日にアポイントメントを取り、それぞれに山開きの協力依頼をする事で訪問しました。

 その後、早良区役所にて脊振山系山開き打ち合わせを佐賀市、糸島市、脊振の自然を愛する会、伊都遊歩道クラブ、SAGAアウトドアガイドクラブが一同に集まって行い、開催に向けてスタートしました。(佐賀県有明再生自然環境課は欠席)これで山開きを開催する事で意思統一が図られました。
 期日はミツバツツジの咲き始める4月29日(祝)がよいとの意見がまとまり準備に入りました。準備の内容は、チラシ、ポスター、幟、記念タオルなどグッズを揃える事から始まりました。また幟、記念タオルは費用面から統一することにしました。デザインは私のマンション建替えの設計をしてくれた(株)Gディザインアソシエイツの西所長にボランティアでお願いしたら、快く引き受けてくれて頂けました。
 第1回脊振山系山開きは、早良区は金山、糸島市は井原山とし同時開催としました。小雨決行、雨天中止の告知は、それぞれの行政のHPで前日にする事にしました。糸島市の担当である、伊都歩道クラブとはメールで情報交換し、準備へ向けてそれぞれがスタートしました。SAGAアウトドアガイドクラブへはメールにて逐次詳細を報告しました。
 私の担当する金山(967m)には坊主が滝ルート、花乱の滝ルート2カ所にはワンゲルの学生各2人を案内係に、バス停と駐車場には早良みなみ塾自然環境分科会のオジサンたちにも案内係で立ってもらう事にしました。
 金山側の臨時駐車場は建設会社(有)博陽社の私有地をお借りして、併せてここに仮設トイレも準備する事にしました。

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第1回脊振山系山開き。井原山(983m)タオルを広げて記念写真を撮る登山者

少雨決行でも500人が参加

 いよいよ開催日の4月29日(祝)。天気は小雨模様でしたが、せっかく準備してきたので決行する事にしました。金山の山開きの状況は以下の通りです。
 早朝7時早良区役所に区役所スタッフ、学生、ワンゲルOGが集合し、朝礼の後、それぞれの持ち場へ向け、区役所のマイクロバス、緊急用の区役所のミニバン、OBの自家用車で出発しました。前日に要所要所に幟を立てていましたが、当日も佐賀県側のポイントに幟をたてながら、佐賀県側の金山登山口から荷揚げをしました。
 応援の学生たちは架設トイレ用のテント2張り、記念品、アンケートの準備などテキパキとこなしてくれました。そして登山者を待ちました。
 小雨模様にもかかわらす、登山ショップの担当者、知人や登山者が続々と11時前から登ってきました。皆さん、記念タオルを広げて記念写真を撮っていました。平先輩(副代表)はひときわ賑やかで、山頂は笑いが絶えませんでした。

 12時過ぎには各登山口の案内係をしていた学生たちも、役目を終了して山頂へ上がってきました。ワンゲルの同期もK君も三瀬峠から登って来てくれました。山で同期に会えるのは嬉しいものです、また参加してくれた彼に感謝です。午後1時30分すぎに最後の登山者が登って来られたのを機に、山開きを終了し下山しました。
 井原山の山開きはどうだろうと下山してすぐ、電話をして状況を聞きました。用意して記念タオル、佐賀市、佐賀県からもらったグッズも終了したとのことでした。金山、井原山の登山者も怪我も無く第1回脊振山系山開きは終了しました。金山の登山者150人(スタッフ含む)、井原山の登山者350人(スタッフ含む)、金山と井原山で登山者合計500人になりました。もちろん大成功です。

 後日、関係者が早良区役所に集まり反省会を行い、アンケート結果の披露と来年度の第2回山開きを開催することを決定し終了しました。
 毎日新聞では金山山開きの様子が、翌日の朝刊に掲載されました。
 当日、西日本新聞『のぼろ』の今田記者が私を訪ねて登ってきました。これが翌年、脊振山系特集として掲載されるきっかけになりました。

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金山山開き。西南学院大学ワンダーフォーゲル部の皆さん

【やまぼうし】

<池田友行氏プロフィール>
福岡市早良区在住。1944年3月生まれ
西南学院大学ワンダーフォーゲル部OB。ソニーマーケティング(株)退職後、2008年より早良区と共働で、脊振山系道標設事業や脊振清掃登山に取り組み、中心的役割を果たす。
福岡市早良区の野河内渓谷整備に従事中。
「脊振の自然を愛する会」代表
早良区役所主宰の『早良みなみ塾』自然環境分科会代表
写真集『脊振讃歌』著者

 
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