2024年11月22日( 金 )

まれにみる無責任なドタバタ倒産劇~(株)三栄ホーム(2)

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 大分市内に本社を構え、戸建住宅の建築、販売を手がけていた(株)三栄ホーム。社員のほとんどが予期しなかった倒産劇に、いくつかの穏やかではない事実が明らかとなった。

住宅事業との出会い

sanei2 同社代表の江野畑敬一氏はかつて設計事務所を興したが、経営に失敗。その時関係のあった石材店社長が自社に江野畑氏を迎え入れたのが1997年ごろ。同店社長の死後、江野畑氏が代表となった。石材事業は小規模ながらも安定していた。その後、江野畑氏は大分県内で戸建て住宅、マンション販売を行っていた(株)三栄都市の井上脩代表と出会い、同社の監査役に就任。一時は両方の会社で仕事をしていたが、三栄都市の仕事が額も大きく、魅力的に映ったのだろう。江野畑氏が石材店に顔を出す回数が次第に減っていった。他社へばかりに出向く姿に石材店側は不満を抱くようになり、結果、石材店役員らが株式などを買い取り、事業を引き継いだ。会社を追い出された形となったため、以降江野畑氏と石材店は疎遠となり、資本上も、仕事上の取引も一切なくなった。

三栄都市から事業を継承

 (株)三栄都市は1973年に井上脩氏が個人創業。74年1月に三栄土地(有)を設立。同年6月に三栄土地建物(有)へ社名を変更し、本格的に建築業を開始。宅地造成や宅地分譲、分譲住宅の営業を展開し、マンション事業もスタート。大分市中心部でマンション開発を手がけ、事業は拡大傾向へ進む。郊外に戸建住宅地を形成するなど、地元では開発業者として相応の知名度を誇っていた。
 しかし、大手との競争が激化し、デザイン性や営業力では敵わなくなってきた。折しも、リーマン・ショックの最中、大分県内でも(株)司建設など有力ゼネコンが経営破綻するなど建設業には逆風が吹いていた。三栄都市も業績の悪化から、約20億円の負債を背負っていたと言われる。当時、逆風にさらされていたのは、ゼネコンだけではない。金融機関も揺れていた。メインバンクの豊和銀行にしてみれば、これ以上つぶれてもらっては困るのだ。三栄都市の再建策として、負債を減額する代わりに、経営陣を入れ替えることが打ち出された。

(つづく)
【東城 洋平】

<COMPANY INFORMATION>
(株)三栄ホーム
代 表:江野畑 敬一
所在地:大分市生石港町2-6-11
設 立:1997年9月
資本金:2,000万円
売上高:(14/8)約13億3,000万円
負債総額:約12億9,000万円

 
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