2024年11月22日( 金 )

自ら「植民地」を志願する呆れた日本!

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

施光恒著『英語化は愚民化』(集英社新書)

 猛暑のなか連日、全国で「安全保障関連法案」反対のデモが市民、女性、学生によって展開されている。 その陰で、国民が油断しているうちに、安倍政権は国のかたちを大きく変えるもう1つの政策を進行させている。それが本書のタイトルでもある日本「英語化」、そして日本国民「愚民化」政策である。わかりやすく言えば、自ら「植民地」になることを志願するというものだ。このことはTV、新聞等のマスメディアではほとんど報道されない。

国のかたちが今奇妙に歪められようとしている

 著者は、九州大学大学院比較社会文化研究院准教授。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程で修士号、慶應義塾大学大学院法学研究科で博士号(法学)を持つ気鋭の政治学者である。

 施光恒氏は、本書を通じて、日本の国のかたちが、今まさに「英語化」政策によって奇妙に歪められようとしていることに警鐘を鳴らしている。本来であれば、100年の計として重視されるべき教育まで、子どもの将来や学術・文化の発展を考慮することなく、「新自由主義」的ビジネス一色に染められる政策が進行しているからだ。

日本語すらおぼつかない小学校3年生から英語

 楽天やユニクロが本格的に社内の公用語を英語化したのは2012年、その同じ年の暮れに第2次安倍晋三政権が発足、安倍政権は日本全体を巻き込むようなかたちで、「英語化」政策を推進し始めた。

 2013年12月に発表された「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると、小学校5年から英語を正式教科にするとしている(早ければ2018年度から実施)。現在でも小学校5、6年生には、英語になじむことを目的とした外国語活動が週に1回設けられている。それを正式教科にすると同時に、外国語活動の方は、日本語の読み書きすらおぼつかない、小学校3年生から開始する計画である。中学校の英語は、いわゆるオール・イングリッシュ方式(授業中は英語のみを使用し、日本語を原則的に禁止する方式。英語教育の専門家の間でも、この方式の問題点は数多く指摘されている)授業に移行する。

1校につき最大50億円の補助金を与えるとした

 大学教育については、さらに衝撃的なレベルでの英語化が進んでいる。13年3月15日の第4回産業競争力会議(政府の「英語化」旗振り役と言われる楽天社長・会長の三木谷浩史氏が民間議員を務めている)では、下村博文文部科学大臣が「グローバル人材の養成」を挙げ、大学の英語化「一流とされる大学は、今後、10年のうちに5割以上の授業を日本語ではなく、英語で行うようにすべきである」と提案している。その一環として、「スーパーグローバル大学創成支援」プロジェクトが始動、認定した大学には1校につき、最大50億円(10年間)の補助金を与えるとした。今この“超”多額の補助金欲しさに、各大学は、学問的な裏付けもなく、英語で行う授業を増やすことに躍起になっている。英語で行う授業数が多ければ多いほど、多くの補助金が配分されるからだ。

日本語を用いる時に思考能力を最大限発揮する

 さて、当たり前の話であるが、日本人は日本語を用いるときに、その思考能力を最大限に発揮できる。また、常識的に考えて、経済力のある国とは、「英語力のある国」ではなく、「自国の言葉をしっかり守り、発展させてきた国」である。英語の授業を増やしても、決して研究レベルで世界水準になるとは言えない。「英語化」と「教育・研究の水準」との間には、因果関係はないのである。 現在、インドでは、日本とまったく逆に、若者の創造性を奪った反省を含めて、大学の教育は「英語」ではなく「インドの言葉」でするべきという議論が起こっている。

英語が少しできる一兵卒の兵隊が大量に欲しい

 では、誰が何のために「英語化」を促進させようとしているのか。その背後にあるのは、教育上もしくは学術上の必要性ではなく、ビジネス上の論理である。安倍政権の「日本再生の処方箋」の1つは「世界市場を奪いに行く」(英語が“少し”できる一兵卒の兵隊が大量に欲しい)であり、もう1つは「海外から投資や企業を呼び込むために、海外投資家に好まれる環境づくり」(法人税を大幅に下げることと並行して、多くの日本人に英語を話させ、海外投資家にビジネスを展開しやすいイメージを与えたい)である。若者たちに英語を学ばせる目的は、学ぶ若者の利益を考えてのことではない。世界を股にかけるグローバル投資家や大企業がますます稼ぎ、豊かになりたいからに過ぎない。

21世紀の「英語化」は近代日本150年への冒涜

  歴史的に「英語公用語化」の議論はたびたび起こり、その都度真っ当な反対意見が出て実現されていない。その反対意見は立派に今でも通用する。それは、英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間が浪費される(英語を学ぶという「生涯労働」が課せられ、しかし、どんなに学習しても、英語ネイティブを超えることは絶対にない)~国の重要問題を論じるのは一握りの英語特権階級になる~その結果、社会が分断され格差が固定化する~国民の一体感が失われる、というものだ。日本の社会が英語化すると、多くの人々が社会の重要な場から締め出され、知的成長の機会を奪われ、自信を失い愚民化する。

 自国の国民の声よりも、グローバルな投資家や企業の声を重視して、教育政策を推し進めることは、民主主義や国民主権の原理から逸脱した倒錯行為と言える。
  日本の「英語化」が進めば、法的には「独立国家」の体裁を保っていても、日本人のものの見方は「植民地」下に置かれた人々と同じになる。植民地下では、自分たちの言語よりも、宗主国の言語(英語)が上となる。

【三好 老師】

 

関連キーワード

関連記事