小倉駅北エリアに新スタジアム建設(中)
-
にぎわいを生み出す
小倉駅北口は都市の空洞だった。人が来ない、という意味だけではなく、実際に土地が一見未開発に思えるような状態だったのである。スタジアム建設地に選ばれた場所は、工事に入る前まで駐車場として活用されていた。新幹線が停まる駅から徒歩7分の場所に大規模な駐車場である。それだけ開発が難しい土地だったということが想像できる。
小倉駅北側は、これまでにもさまざまな手法を用いてにぎわいを生み出す努力がなされてきた。1990年には北九州国際会議場が開設された。人を集めるための施設に着目していったのである。
93年には小倉駅北側のシンボル的な存在だったラフォーレ原宿小倉の誘致。流行を追わない、少し過激なファッションビルとして名を馳せたラフォーレ原宿を駅北口から道を挟んですぐの場所に誘致した。小倉興産21号ビルのメインテナントとして期待を集めた。その5年後にはアジア太平洋インポートマート(AIM)が竣工する。77年に竣工した西日本総合展示場、北九州国際会議場、ラフォーレ原宿小倉、AIMと、小倉駅北口を活性化させるための施設をつくっていったのである。
ところが、開発は思うように結果を出せなかった。オープン当初は高い関心を集めたラフォーレ原宿小倉だったが、徐々に客足は遠のいていったのである。07年、ついに閉店することになった。小倉駅北口は、やはりどうしようもないエリアなのか。官民一体となって開発に頭を悩ませた。北九州市に魅力をつけたい。市民の生活を豊かにしたい。そこで北九州市が打ち上げた大きな方向性の1つが、漫画ミュージアム構想である。SF漫画の大家である松本零士氏が少年期を過ごしたのが北九州市だった。また、ハードボイルド漫画の巨匠、北条司氏など、実は多くの漫画家は北九州市と縁があったのである。クールジャパンという言葉が世界に浸透し、これまでサブカルチャーとして取り上げられにくかった漫画・アニメを北九州市の名物にしようと考えたのだ。漫画・アニメの集積地、それが漫画ミュージアム構想なのである。その考えに賛同し、北九州の未来のために資するならということで手を挙げたのが、アパマンショップだった。ラフォーレ原宿小倉が撤退した後のビルに漫画ミュージアムをオープンさせることに賛同したのである。また、それだけではなく、全国に類を見ないポップカルチャー集積ビル「あるあるCity」として生まれ変わらせたのである。12年のことだ。
これによって小倉駅北側へ人の流れが生まれた。毎日のようにさまざまなイベントを行う「あるあるCity」、見本市やエンターテインメントなど大規模な興業が可能な西日本総合展示場など、催し物の集積エリアとして再出発を果たそうとしているのである。
あさの汐風公園、AIMなどのコンベンション施設、漫画ミュージアムのある「あるあるCity」と徐々に北九州市の街に潤いを与えてくれる、魅力を増してくれる施設が増えてきたのである。ただ、それだけではまだ不十分だったのだ。小倉駅北側のエリアには、かつての工業地帯を支えた港湾施設の跡地が残っていた。そこは駐車場として残されたままだったのだ新スタジアムへの期待
新幹線が停まる駅のすぐ近くに駐車場として土地が残されていた。それが荒廃したイメージを人々に与えていたのだが、その土地があったことが、今回の新スタジアム計画に生きたのだ。
新幹線駅から近いということは、ギラヴァンツのホームゲームが行われる場合、アウェイチームのサポーターも来訪しやすい、ということを意味する。また、予定地のすぐ近くには四国・松山と北九州を結ぶフェリーのターミナルもある。15年7月現在、チームが四国には徳島ヴォルティス、カマタマーレ讃岐、愛媛FCの3チームがJ2に属している。四国からの訪れやすさにも期待が持てるのである。また、北九州空港の活用も多少なりとも見込める。これは公共交通機関との連絡が悪い本城陸上競技場との大きな違いとなるだろう。市が働きかけを行い、土地を所有する新日鐵住金、アパマンショップが賛同したことにより、新スタジアムの建設計画はスタートを切ったのである。(つづく)
【柳 茂嘉】関連記事
2024年12月20日 09:452024年12月19日 13:002024年12月16日 13:002024年12月4日 12:302024年11月27日 11:302024年11月26日 15:302024年12月13日 18:30
最近の人気記事
まちかど風景
- 優良企業を集めた求人サイト
-
Premium Search 求人を探す