2024年11月14日( 木 )

世界史に名を刻むチャンスをフイにした安倍首相・戦後70年談話(3)

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副島国家戦略研究所(SNSI)中田 安彦 氏

 私はここで「安倍首相は世界史に名前を残すチャンスを失った」と強く感じた。安倍首相は太平洋戦争開戦の時の閣僚(商工大臣)で、旧戦犯だった岸信介元首相の孫である。やはり節目である70年には自分の祖父との関係で、談話を残すべきだったと思うのだ。今回出された談話は、他の内閣で出されたものであれば、首相個人と「あの戦争」の関わりが述べられていなくとも、私は特に失望はしなかっただろう。しかし、安倍首相は岸元商工大臣の孫であるのだ。ここは何らかの所感が欲しかった。

 例えばこういうのはどうだったろうか。
 「74年前の太平洋戦争の開戦時には私はまだ生まれていなかった。だから、私がその戦争について責任を直接取ることは出来ません。しかし、私の祖父を含めた当時の政治指導者が進むべき道を誤ったことは事実であります。私はその事実に思いを致し、再び戦争の惨禍が起きることの無いように、今述べた4つの決意を確かなものとしていく必要がある。私はその努力を惜しむつもりはありません」

 このように、「戦犯の孫」が何らかの形で自らの祖父の過去について総括すること、それによって謝罪要求の連鎖をストップという結果が生まれる、ということもあり得るのだ。このような所感を加えた方が、今回の談話は一般論ではなく、真摯な安倍首相の反省と決意が現れたものとして、国内外に受け取られたのではないだろうか。そのような形にならなかったのが非常に残念だ。安倍首相はこうすることで世界史に名前を残せたに違いない。アメリカナイズドされた、大統領のスピーチのような談話を出すのも悪くはないが、思い切ってこういう劇的なメッセージを出すほうが良かった。

clock そのように私が言うのは、過去に敗戦国ドイツにおいても、国家首脳が劇的な謝罪を行ったことで、一気に戦後和解が進み、わだかまりが解けたことがあったからだ。それが西ドイツ首相のブラントが、1970年12月7日に行った、「ワルシャワの跪(ひざまず)き」という行為だ。これは、ブラント首相がナチス・ドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワを訪れ、国交正常化基本条約に調印。その足でゲットー英雄記念碑(ユダヤ人犠牲者記念碑前)に献花し、ひざまずいて黙祷を捧げたというものである。

 この行為はドイツ国内の保守派から「やりすぎではないか」という声が上がったが、同時にそれを評価する声も高かった。この象徴的な跪きがあって、その後15年後の1985年にリヒャルト・ワイツゼッカーの有名な「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という警句で知られる、「荒れ野の40年」演説につながっていくのだ。

 安倍首相の談話の「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりについて、安倍首相のお気に入りの産経新聞の阿比留記者が記者会見の質疑応答でこのワイツゼッカー演説の中の「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません」という部分を意識したのではないかと質問していた。確かにワイツゼッカーはそのように述べているが、それはブラントの跪きのような行為の積み重ねの中で出てきたことばであることをこの記者は忘れているのかもしれない。

 その点で気になったのは安倍談話の直前に鳩山由紀夫元首相が、13日に韓国・ソウルの西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)の独立活動家らをしのぶモニュメントの献花台で跪き、その上で韓国式の土下座に似たお辞儀をしたことが報じられた時、産経新聞系の「夕刊フジ」が、「問題行動」として報じた件だ。ネット上でも「あの鳩山がまた問題行動をした」というふうに揶揄されていたが、これが「ワルシャワの躓き」を意識したものであるとはあまり多くの人が気づいていなかったようだ。

 私には、鳩山首相の行為はブラント元首相の「ワルシャワの跪き」を意識したのであろうことは、私は一見して分かった。鳩山氏は、おそらく、作家の矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)を読んで、この史実を知っていたのだろうと思う。2人は対談したこともある。戦後のドイツが欧州の中心として再び君臨するまでの過程にはブラントの和解への努力があった、ということが同書には書かれている。

(つづく)

<プロフィール>
nakata中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などが

 
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