2024年11月24日( 日 )

回復期リハビリの要、セラピストを育てる(5)

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 「外科医に植物人間となると宣告された弟は、看護師やセラピストの方のおかげですくわれました」と語るのは、交通事故で脳や身体の機能をすっかり破壊するほどの大怪我を負った弟を持つAさん。
 本来ならば、即死でもおかしくない状態だった。某大学病院の救急センターで運ばれ、救急医が素早く執刀し一命を取り留めた。しかし処置をした後、目の前でこん睡状態を続ける弟を示し救急医は、「弟さんは回復する見込みはありません。植物人間状態となるでしょう」とAさんに告げ、その場を去った。
20150825_003 Aさんですら存命を危ぶむほどの大損傷を各部に負い、今はさまざまな医療機器につながれたまま昏睡する弟を目の当たりにして、Aさんは絶望した。だが、「医師には自分の専門外のことはわからないものだ」「人の可能性は無限大」と周囲の知人に励まされ、生涯にわたる看護、介護を決意。その後、献身的な看護師やセラピストたちと出会い、奇跡的に弟の意識は回復。最初にAさんの呼びかけに対し、少しだけ指を動かし応えてくれたときの喜びは忘れられない。後には、差し出す複数のDVDのなかから、大好きなラリーのDVDを選べるまでになった。
 事故後1年経った先日、福岡タワーへの遠足に参加し、ソフトクリームを食べてご満悦の弟を見て、「流動食であれば、病院食でなくても食べられるのか」と喜びに顔を緩ませた。植物人間として一生を過ごすと宣言されたときには、考えられなかったことだった。

 身体障害にしろ、知的障害にしろ、障害者支援施設の長たちは、「障害を持つ人たちは、経済至上主義のなかで役立たない人たちと思われている。そのような人たちを切り捨て、能力的に恵まれている人たちだけが残るような世の中であってはいけない」と口をそろえて言う。Aさんも、「いっそ弟は死んだ方が良かったのではないかと思ったときもある」と言う。だが今、車椅子に乗って福岡タワーを見上げる弟の姿が、Aさんに新たな生き甲斐を与えてくれている。

 誰もが認知症となるリスクを負い、誰もが認知機能を損傷する事故に遭う可能性を持つ。またそのような状態に陥った人々を看護、介護する立場になる可能性がある。そのような社会において、治療から在宅復帰までの時間を縮めるために、療法に専念し看護と介護に尽力するセラピストたちの存在は、重要な役割を担っていく。リハビリテーションセラピストたちは、医師の指導の下、治療後の患者と真摯に向き合いながら身体機能の回復と、日常生活に必要な細やかな作業能力の回復を目指す。今後はそのリハビリテーションセラピストたちを育てるための、教育者、教育機関、現場管理者、ひいては国のあり方自体の、質が問われていくことになろう。

(了)

【黒岩 理恵子】

 
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