安保法案に問う~手記『不戦の誓い』(2)
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(株)小笠原創業者小笠原平吾氏の手記より
姿が見えなくなってから起き上がろうとしたが、全身の傷が痛くて動けない。手榴弾を引き出し、最後の覚悟を決めて自決しようと思ったが、こんなところで犬死してたまるものかと強く言い聞かせ、壕から這い出したが、友軍が何処にいるのか全然見当がつかない。翌日になって再び交戦が始まり、友軍の銃声が右翼の方向から聞こえてきたので、その銃声を頼りに、昼間はジャングルの中に身を隠して息をひそめ、夜になってから五十米程這っては休み、三十米進んでは休みして、途中、竹を杖代わりにして少しずつ撤退を続けた。
夜中の火事は近くに見えるというが、本当に、砲火は近くに感じても、友軍にはなかなか辿りつくことができなかった。話相手になる戦友もおらず、食べ物は何一つなく、首から下げた信管の中に、戦友の遺骨と一緒に入れた岩塩を大事に少しずつ舐めた。泥水ばかり飲んでいるのでアメーバ赤痢にかかり、デング熱に冒され、傷口からは蛆虫が出入し、敵中ではあるし、只々残っているのは気力のみであった。死力を尽くし、只一人敵の中を迷いながら撤退を続けた。
途中、敵兵が負傷者や重症者を担架に乗せて往き来するのを、四、五米程も所で何回となく見た。草むらに身を隠し、その都度、もうこれまでかと最後の覚悟を決め、手榴弾の安全弁を口にかけたが、どうにか敵兵に見つからずに済んだ。
何日かたって、漸くナンヤセイクの伐開路に辿りついた。伐開路とは名ばかりで、道とは程遠いものであった。敵に遮蔽しながら迂回撤退するのだから、容易ではなく、二、三百米後方から敵兵が追尾し、話声が近くに聞こえてくる。気ばかり焦っても骨と皮に痩せ衰えた体では、何らなすべきすべはなかった。
もうこれまでと捨鉢気分となり、ドッカと腰を下ろすと、フーコン特有の山蛭が、頭上の樹から雨と共にザーザーと音を立て、舞い落ち、体に吸いつき、血がみるみる流れ出し、痛くてたまらない。(以上 平吾氏手記『ビルマ戦線 死の敵中突破』原文まま)
銃弾を体内に13発受け、通常なら死んでいた状態であるにもかかわらず、敵陣内にいて撤退を続ける平吾氏。まともな食料や水が一切なく、水分を補給するために泥水を飲んだことで、重病に冒された。また体内に蛆虫が出入りするなど、それだけでも尋常な状態ではなく、並の人間であれば「ここまでか」と諦めて、自ら命を絶つか、自然に死ぬのを待つか、あるいは投降するであろう環境下にあった。だが平吾氏は、諦めず強い決意でもって、敵陣内から撤退を続けた。最後の最後まで諦めてはならないという平吾氏ご自身の信念を読むことができる。だが、困難はまだまだ続くこととなる。
(つづく)
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