安保法案に問う~手記『不戦の誓い』(4)
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(株)小笠原創業者小笠原平吾氏の手記より
夜中に一人筏に乗せられ、ワイヤーロープで下流の対岸に着くまで、敵の照明弾投下で付近一帯は真昼のように明るくなり、対岸からは敵兵が私を狙撃するので、筏もろ共、魚の餌食かと半ば諦めていたが、運良く対岸に辿りつくことが出来た。息つくまもなく断崖を這い上がり、敵中を突破したものの、菊兵団転進の伐開路、誰がつけたか知らないが、筑紫峠へとさしかかった。
しとしとと降りしきる雨の中、泥水ばかりすすり続けたため、アメーバ赤痢がひどくなり、又、デング熱に冒され四十度以上の高熱と斗いながら、左半身負傷の激痛でへとへとになった身体を、昼間はジャングルの中に一人隠れていても、敵戦斗機は会釈遠慮もなく頭上すれすれに飛来し、機銃掃射して立ち去るので全くやりきれない状態であった。この峠は、ナンヤセイク伐開路以上に死臭が漂う峠であった。峠の頂上では同郷の森田愛次郎氏に出遭い、この峠もあと十六粁位だから頑張れよと励まされたことも、高熱のために朧であった。(以上 平吾氏手記『ビルマ戦線 死の敵中突破』原文まま)
ひとり筏に乗って、敵の鉄砲玉のなかをかい潜って、対岸に着く。そして断崖をよじ登る─健康体であってもその過酷さは想像できる。左半身が銃撃されて重症を負い、さらに病に冒されながらも敵中突破を続ける平吾氏。死と背中合わせの状態で、“生きる”ことへ一心不乱に進んでいる。それは、志半ばで殉じた戦友への、平吾氏の不変の姿勢ではないだろうか。「亡き戦友の分まで、生きて命の続く限り、世の中に貢献する」という平吾氏の固い意志であったように思える。
(つづく)
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